鏡像段階とは、鏡や母親といった外部の世界から、自分の身体のイメージをはじめて獲得することです。
人の生後6ヵ月ほどで起こる段階です。
想像して下さい。
あなたはどうやって自分を認識したのでしょうか?
鏡像段階では、自分がまだいないのに「これは自分だ!」と自分以外の誰かが思ったことになるのです。
誰が自分を自分だと思ったのでしょうか。
そんな哲学の元となった鏡像段階。
では、鏡像段階を具体的に見ていきましょう。(続哲学用語図鑑 参照)
鏡像段階とは
鏡像段階とは、鏡や母親といった外部の世界から、自分の身体のイメージをはじめて獲得することです。
フランスの精神分析学者ジャック・ラカン(1901~1981)が唱えました。
鏡像段階には、その前段階があることを示しています。
順を追って見ていきましょう。
鏡像段階の前の段階「寸断された身体」
鏡像段階の前段階を説明していきます。
生まれたばかりの赤ちゃんは、断片的な感覚だけを持っています。
断片的な感覚とは、身体の部分だと足、手、爪、などそのようなものがあるという意識です。
身体の部分から感覚が湧き上がってきます。
お腹が空いた、かまってほしい、ぬれている、なども断片的な感覚です。
オムツがぬれているとか、足が寒い、など一緒にされることがなく個々に出てくる感覚です。
この段階のことをラカンは「寸断された身体」と言いました。
生後6ヵ月頃から鏡像段階に移ります。
鏡像段階での認識の仕方
乳児がもつ断片的な感覚から、鏡を見たり母親の姿を鏡のようにして、自分の身体をイメージするのが鏡像段階です。
今までの断片的な感覚を統合させます。
私はお腹が空いていて足が寒くて不快な状況にあるから悲しい、といったように一つの像を私だとイメージするようになります。
例えば、生後6ヵ月頃の乳児が大人の働きかけに対して反応を示す心理学実験があります。(なぜヒトは学ぶのか)
その頃に、赤ちゃんが相手の視線を追いかけて、その対象を見ようとする頻度が高くなることがわかりました。
人は生まれながらに模倣学習をする王様なのだとその本では述べられています。
真似をしながら自己イメージを捉えていきます。
そして、鏡像段階の次の段階では、言語による秩序を受け入れることで自己が形成されていくとラカンはいいました。
段階は移っても、私は私の外部から作られていくという認識の仕方です。
では、なぜこのような認識の仕方が注目をあびたのでしょうか。
それは、今までの哲学における自己の考え方にあります。
鏡像段階を考える理由-実存主義との比較
ラカンは、精神分析学の祖フロイトの精神分析を構造で捉えなおしました。
この精神分析を構造で捉えた偉業の背景に、そのころ流行りの考え方である実存主義がありました。
それに対抗するように、構造主義が注目をあびます。
>>構造主義をわかりやすく、つかえるようにする記事
自己の捉え方が180度違う考え方を理解していきましょう。
実存主義と構造主義
実存主義は、自分で自分の身体のイメージを獲得できるという考え方です。
>>実存主義をわかりやすく解説!使えるようになろう。
自分が主体的なので、自分の意思でやることを決定できると考えます。
もしこの理論が幼児に適応されるとすれば、鏡などの外部から自分をイメージするのではなく、自分で自分をイメージできることになります。
私は自分で自分を頭が良い、天才、可愛い、カッコいいと思うなどです。
しかし、実際はどうでしょうか?
例えば、頭が良い、と言われることで自分が頭が良いと思う。
天才、可愛い、カッコいいなど、他人から言われて初めてそうなんだと私たちは認識します。
その認識の仕方から、私たちは言語や規則に支配されているとラカンは考えました。
例えば、子どもが「サッカーをやりたい!」と言い出した理由が、誰かが「サッカーはかっこいい」と言っていたことに由来するのです。
イメージが与えられて、そのイメージに支配されることがあると考えます。
つまり、ラカンは言語や規則といった構造から、自分は自分を認識すると説いたのです。
ラカンがこのように捉えるようになった経緯に、精神分析学があります。
精神分析学にも触れていきます。
精神分析学の無意識を捉えなおしてみる
精神分析学の祖といわれるのはジグムント・フロイト(1856~1939)です。
フロイトは人の行動の大部分は、理性で働きかけることのできない無意識に支配されていると唱えました。
例えば、私たちは心理学テストを受けると、自分を知ることができると考えています。
A使ったものが出しっぱなし
B机の上には何もない
C必要なものがいくつかある
Dよく見たら机ではない
4択の中であなたは何を選びましたか?
これは不満度診断です。
A不満全開
B不満なし
Cやや不満あり
D不満を吐き出せない
実際の心理テストですが、これに合わせてもっと細かい解説が載っていました。
合っていると思いましたか?
その答えに私たちはそうなのかといったんは納得します。
心理状態に無意識なので、自分で正解がわからないからです。
この精神分析学の考え方をラカンは構造主義によって捉えなおしました。
構造主義は、人間の言動はその人が属する社会や文化の構造によって決まっていると考える思想です。
この思想を精神分析学の無意識として捉えると、人間の無意識は構造になります。
⇩
人の言動はその人が属する構造によって支配されている。
幼児は生後6ヵ月から外部によって自己を認識して、その後も外部によって自分を形作ります。
こうして、自己認識では実存主義から構造主義の考え方が主流になるようになりました。
自己認識の捉え方を知ることは、自己理解につながります。
では、構造主義で見る自己認識の具体例をみていきましょう。
鏡像段階の具体例-実存と構造から
具体例を2つあげます。
パスカルの「考える葦」
実存主義の代表とされるのは「考える葦」です。
宇宙に比べればとてもちっぽけな存在である人間を「考える葦」に例え、それでも死ぬことを知っているから貴いと述べます。
実存主義の先駆者であるパスカルが唱えました。
「考える葦」はとてもひ弱な存在です。
たった一人で考えることによって宇宙に対面すると、押しつぶされそうになります。
これが実存主義の考えであり、孤独になります。
そんなときに人間を構造で捉えると、みんなそれぞれが1本の「考える葦」なので孤独が和らぎます。
私一人だけが特別な存在なわけではないと考えることができます。
構造主義は社会的です。
次に行きます。
カフカの「変身」
実存主義小説の代表とされるカフカの「変身」があります。
朝起きると巨大な芋虫になっていた主人公は、みんなに煙たがられます。
この孤独が実存主義です。
自分一人だけが芋虫なので孤独なのですが、一般化して捉えてみましょう。
家族や仕事場や社会から自分がのけ者にされている感覚を一般化してみます。
自分が芋虫のような扱いをされていると思う人は主人公だけではありません。
ここでも感情が社会的に共有されます。
このように構造で捉えることで、孤独が和らぎます。
実存主義で捉えると孤独と苦悩が襲う個人の経験も、構造で捉えることで一般化されるのです。
一般化されることで、社会性を帯び人々の共感が得られます。
そして、一般的な事柄になることで、学問(社会学や社会心理学など)で分析もできるようになりました。
鏡像段階とは-まとめ
鏡像段階とは、鏡や母親といった外部の世界から、自分の身体のイメージをはじめて獲得することです。
生後6ヵ月ほどで起こります。
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鏡像段階
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言語による秩序を受け入れる自己形成
このような順序で外部から自己を形成します。
ラカンは、フロイトの精神分析を構造で捉えなおしました。
人の無意識を構造で捉え、人の言動はその人が属する構造によって支配されていると考えます。
自己の認識の仕方は、自分自身を理解する手助けになります。