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私の個人主義とは-自己本位から解釈

おはようございます。けうです。

 

夏目漱石「私の個人主義」を読み終えました。

古くて新しい、いまでも参考にしたい考え方だと思いました。
>>「私の個人主義

 

個人主義とはなにか、を話していこうと思います。

個人主義と自己本位の関係

漱石の個人主義は、自己本位に基づいています。

またこれも自己本位とは?

という話になるのですが、漱石は自分の体験を語ります。

漱石は英文学を大学で習っていました。

学校の授業では文法をならったり、文学の批評を分析したり、英文で作文をつくったりと英文学を学んだのです。

漱石は3年間学んだけれど、その結果としてまた振り出しにもどったように

「文学って何?」とわからなくなったそうです。

教科書を学んで、文法を身につけて、ここのこれは学んだ方がよい、と言われていることを身につけた。

けれど、結果としてその文学とは何かがわからなかった。

自己本位と他人本位

なぜわからなかったかというと、その原因を他人本位だったからだと漱石は語ります。

自己本位を他人本位と比較して考えます。

「私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。」

つまり、自分でお酒を飲むのが自己本位だとすれば、他人本位はそのお酒を飲んでもらってそれを聞いたことを自分のことだと真似する事。

 

英文学で例えると、他の人が体感したものばかりを習っているから、自分でこうだと体感していないから自分で文学が説明できなくなる、と漱石は捉えます。

自己本位というのは、「ああここにおれの進むべき道があった!」と体感するものだと伝えます。

そこには個性があって、個性はおもに学問とか文学とか趣味とかについて自己の落ち付くべき所まで行って始めて発展する、と漱石は述べます。

だから一般的な他人本位で教えられたものは自分の個性という自己本位にはならない。

単純化して表します。

他人本位⇨教えられること、教えられたこと
自己本位⇨自分で納得すること

自己本位は自分の感覚や体験から初めて納得という形であらわれるものだと語ります。

「己の個性が勝手に発展する」そのようなものだ、と。

自己本位からなる個人主義とは

では、この自己本位からなる個人主義とは何か、に戻ります。

個性から自己本位をすすめて言ったものが用語としては個人主義なります。

個々の個性を尊重して、かつ私が生をうけた意味はこうだったのだ、ということを掴む主義です。

 

そして、この意味で個人主義は他の主義をも含みます。

なぜなら、私がこうだ!と思った主義も個人主義に含まれるからです。

こう述べてしまうと、個人主義と他の主義との違いがわからなくなってしまうので、さらに個人主義を規定していきます。

 

漱石はこれが個人主義だ、ということの3か条をあげます。

 

1・「第一に自己の個性の発展をし遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。」

2・「第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、これに附随している義務というものを心得なければならないという事。」

3・「第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。」

 

つまり、他人本位が権力やお金なのですが、それにはあまり頼らない。

頼ったとしてもなぜ頼るのかという根拠を自分に持つ。

そのような、私一人の思想でもあるのが個人主義になります。

個人主義は個性や人格からなるものなので、他の主義と重なったとして、それはその人にとっての国家主義、世界主義、〇〇主義ということです。

なので、漱石は個人主義を淋しいものだと語ります。

一人一人の違いを認めつつ、かつ、その主義を自分で認めるという自分一人のものだからです。

みんなの中に埋没した〇〇主義だとみんなが同一なのですが、個人主義の場合は個人主義の〇〇主義ということになります。

自分の個性や人格を尊重する分、他の人の個性や人格も尊重します。

そうなれば、一つの主義の中に自分が埋没することはなくなります。

 

英文学をならっていたとして、私なりの英文学の解釈がある。

お酒というものが一般的にあるとして、そのお酒を飲んでそのお酒についての感想を持つのは自分でしかない、ということになります。

一般的な主義で表わされるものは、他の人々が飲んで作り上げた感想です。

もし同じものになるとしても、自分の体験や自分で感性を通したものだけが自分にしっくりきます。

そのしっくりきたり、納得したものを大切にするのが個人主義ということです。

 

なので、個人主義は自分の中で「敵というような反対」をつくりません。

なぜなら、私一人の主義であり、かつ私一人の主義を認めてもらうのには、他の人の主義もみとめるというカタチをとるからです。

 

例えば、私はお酒を飲むけれど、他の人も飲む。

私はお酒を美味しいと思ったけれど、他の人はまずいと思った。

これも認めます。

個人主義からすれば、美味しいよ!と批判するのではなくて、他人の人格や個性も尊重するからです。

「そっか、あなたはまずいと思ったんだね」と。

 

本では、よく個人主義と混同されがちなのが功利主義と言われています。

功利主義は何がその人にとって利点かを考えるのですが、個人主義は自分にとっての利点を考えるわけではありません。

他の人が私の不利益になることを考えていたとしても、それを引き受けるからです。

個人主義は主に私にとっての幸せや私の個性を大事にする主義です。

私の個人主義とは

自分の人格、自分の個性、自分の目標、自分の人生の意味、そういった感覚を掴む主義。

私にはそのように感じられました。

そして、それを自分で認めるからには、他人にもそれを認める、という主義です。

他者を排除しません。

 

そうなってくると、今でも個人主義という概念は生きてきます。

私は私を生きたいと多くの人はそう感じるからです。

今は様々な視点が大切と言われていますが、その視点が大切で人を一人一人みとめようという考え方は個人主義に通じるものがあるなと私には感じられました。

なので古くて新しい問題でもあり、今また取りざたされてもいいのではないか、という様々な視点を持った主義です。

 

では、お聞きいただいてありがとうございました。

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