カントの道徳法則から、道徳を具体的に考えていきます。
(哲学用語図鑑 参照)
哲学者マルクス・ガブリエルは「21世紀は倫理資本主義を創造すべきだ」と言います。
倫理資本主義⇒地球規模に関して良いことになる商品に価値をもたせることで利益が得られる社会。
21世紀の哲学に、倫理はかかせません。
道徳が個人や家族などの小さな集団に用いられることが多いのに対し、倫理は個々人の関係から社会までより広範に用いられることが多いようです。
- 倫理⇒社会において人が生きていく上での守りごとや善悪の基準、道徳
- 道徳⇒人が善悪を考えて行動するのに守らねばいけないもの
辞書において倫理に道徳が含まれることがあるので、倫理を学ぶにはまずは道徳からです。
近代の哲学者イマニエル・カント(1724-1804)は道徳法則を説きました。
カントは認識の仕組みを脳科学でわかる前から説いた大天才。
当時、戦争賛成が多い中、少数派として戦争反対を説いた哲学者です。
カントの道徳法則とは
カントの道徳法則とは、人間界にある従わなくてはならない法則です。
道徳法則は良心の声で『汝、~すべし』と私たちの理性に訴えてきます。
カントにとって道徳とは普遍的なものだからです。
具体例で見ていきましょう。
- Aさん「道徳と言えば、人が死んでしまうから戦争はしてはいけない!」
- Bさん「それなら、人が死ななかったらいいの?」
- A「死ななくてもいけないと思う。人が傷つくから戦争してはいけない!」
- B「同じように言うけど、それなら、人が傷つかなければいいの?」
- A「きっと地球が傷つくからと言っても同じことを言われる…じゃあ、戦争はいけない!」
ダメなものはダメというのが道徳法則です。
これは他の例でいえば「どうして人を殺してはいけないの?」という問いに、「ダメなものはダメ」と返します。
カントによれば、「道徳的な行いが善いものだ」というものが人に先天的にあります。
カントは道徳法則はみんなが納得できるような行いのことで、普遍的なものだと言います。
この道徳法則によれば、〇〇だから、という条件や根拠をもたないことによって、道徳が普遍的なものになります。
条件や根拠は否定することができてしまうので、その根拠をもたない。
その否定をもたないからこそ、道徳は無条件で普遍的なものであるという結論になります。
定言命法と仮定命法
カントの言葉を哲学用語で説明します。
「〇〇だから、〇〇せよ」という条件や根拠を持つ言葉を仮定命法。
「〇〇せよ」という無条件の命令を定言命法といいます。
- 仮定命法⇒条件や根拠を持つ
- 定言命法⇒無条件の命令
道徳法則は定言命法によってなりたちます。
無条件でダメなものはダメと言うからです。
しかし、ある疑問がでてきます。
なぜ道徳は無条件でどのように普遍的なものだとわかるのか。
時と場合によって左右される相対的なものという考えをなぜ排除できるのか、という疑問です。(「死刑 その哲学的考察」参照)
哲学者フーコー(1926-1984)は時代によって知の枠組みが違うと言いました。
>>フーコーの「生の権力」とは
知の枠組みにそって考えてみます。
カントの道徳法則は普遍的なのか相対的なのか
カントはなぜ戦争が賛成されていた時代に道徳法則を説くことができたのでしょうか。
本からカントの考えを対話形式で見ていきます。
カント「私は1795年に『永久平和のために』を書いた。
そこで初めて戦争の違法化を説いたんだ。
それまでは、歴史上のほとんどの時代に戦争は違法ではなかった。私が説くことがきっかけの一つになって、戦争が違法化されたところもある。」
>>社会契約論とは
でも、民主主義が説かれて、戦争が違法化された!」
人々が学んで、戦争が違法化されたんだよ。
だから、相対的ではない。」
(カントは道徳法則で死刑禁止も述べている)
カント「死刑制度も道徳で考えなければいけないね。
私は死刑制度については、応報刑論で判断している。
目には目をとか、命には命をとか、他人に被害を与えた人はそれと同等の不利益を与えられることで処罰される原理だね。
私たちが道徳的に正しいと考えるときは、誰にとっても正しいものとして考えられている。
だからその普遍性こそ道徳の本質として探究すべきだ!
カントの道徳法則は普遍的なものがあるとしている
カントは追及すべきといいつつ、道徳法則については「こうだ!」と説いています。
つまり、その時代で考えられるすべてのことを考えた場合に、その法則はなりたっているということ。
例えば、自然法則を考えればこのことがわかりやすくなります。
カントは道徳法則と自然法則を分けて考えました。
自然法則は今の科学で明らかにされてきている自然の法則のことです。
自然法則⇒今の科学で明らかにされている自然の法則
昔の人は天動説を信じていましたが、それが誤りだとわかりました。
学びによって自然法則が発見されたということです。
これと同じく、自然界に自然法則があるように、人間界に道徳法則があります。
カントは道徳法則に応報刑論を当てはめましたが、それに対しての批判は今になってもあります。
普遍的なものとは
普遍的なものとは、みんなが納得できる行いのことです。
知識を持ってしても批判されていくような考えだとすれば、カントが主張する応報刑論も議論の余地があります。
事実を知った上で自分の信念に従う人が集まれば、理想社会が実現できるとカントは考えました。
道徳法則によって立てた規則が変わるのは、まだ普遍的なものに達していなかったとみることが出来ます。
この見方からすれば、カントの道徳法則は相対的ではありません。
カントの道徳法則は実践理性に分けられる
前の章で話した道徳法則と自然法則を分ける考え方を、哲学用語でみていきます。
カントは人間の理性を「実践理性」(道徳法則)と「理論理性」(自然法則)に分けました。
カントの道徳法則は「実践理性」です。
- 理論理性:対象を認識する能力⇒自然法則
- 実践理性:道徳的な行いをしようとする理性⇒道徳法則
この2つに分けることによって、人が認識できるものなのかできないものなのかを分けました。
認識においては現代の科学でわかってきましたが、道徳的な行いは科学的に証明することが難しくなります。
では、どのように証明していけばいいのでしょうか。
道徳は報酬を手に入れる手段ではなく、その行為自体が目的になっているべきだとカントは考えました。
そのような行為ができる人々が集まり、お互いを尊重しあう世界を目的の王国という理想社会だと考えたのです。
その理想社会において、道徳法則が実現されます。
カントの道徳法則とはーまとめ
カントの道徳法則とは、人間界にある従わなくてはならない法則です。
定言命法による「~せよ」という無条件の命令です。
道徳法則を実現させるには、道徳そのものを目的として自分の中に信念をもって行動することが求められます。
その信念には、自ら事実を知り思想を深めていくことも要求され、そのような人々による目的の王国において理想社会が実現します。
認識に関する理論理性と道徳に関する実践理性に分けて考えています。
マルクス・ガブリエルの前提だと「関係主義」(多元的、もしくは世界はない)としているから、結論が違ってくることはあるね
>>「わかりあえない他者と生きる」レビュー