おはようございます。けうです。
「蛙化現象(かえるかげんしょう)」という言葉を知っていますか?
これは恋愛でよく使われる言葉です。
蛙化現象の由来
意中の相手がいて、その相手に片思い中だととても好きだと感じている。
でも、その相手が自分に振り向いてくれたとたん、つまり両思いになったとき、そのことに嫌悪感を抱くというもの。
語源は物語の「カエルの王子様」。
魔女にカエルに変えられてしまった王子さまはお姫様に恋をします。
そして、それが叶うことで美しい王子さまになるというもの。
この物語の逆を行きます。
両思いになったとたん、相手をカエルのように思って嫌悪してしまうということ。
その根底にあるのは、私は自分のことが嫌いなのに、どうして私のことを好きになったんだろう?という相手への不信感になります。
蛙化現象を分解していく
理不尽な現象だと思いますよね。
好きだとアプローチしているのに、そのアプローチが通じたとたん相手のことが嫌いになってしまうのだから。
その矛盾点を分解してみようかな、という試みです。
まず、前提として片思いをしている私は自分のことが好きではない。
これが第一条件に値します。
私は受け入れられていない人。
その思いが片思い中にあります。
なので、人は変わろうと努力します。
自己啓発本や自分が変わるだろう知的な本を読んだり、身体を鍛えたりします。
ここで何をしているのかといえば、私が好きな自分に変わろうとしている努力です。
かつ、恋愛という観点では相手に良く見せることで片思い状態を両思い状態にしようとしています。
この絶え間ない努力中に、相手が私のことを好きだと言ってきたとしましょう。
しかし、私はそうなったとき、自分の努力をやめるでしょうか?
私はきっと思うはずです。
私が努力したのだから、好きになってくれたのだ、と。
そして、その努力はまだまだ継続していきます。
だって、努力している私が好きなのだから、もっと良くなるように変化しないと、と思うからです。
そのように思って、絶え間ない努力は続けていくことになります。
それはいつも自分を変化させる状態です。
そんな中、相手がそのままの君が好きだ、と言ったとします。
そのままの状態というのは、変化しようと努力している状態と私は受け取るかもしれません。
この努力の状態を私は自分が好きだと思えている要素なのだから、私はその努力を続けよう、と。
そして、両思いになったとして、私の基本状態が自分を変えようとしている状態だったとします。
でも、その相手がそのような気質がなかったとしたら。
つまり、相手に自分を変えようとするような状態が見られないとしたら。
その相手の状態は止まっているわけです。
変化が好きな自分の視点は変わっていくのですが、相手の状態は止まっている。
ここには発展と停止という相互にばらついた状況が起こります。
変化が好きな私は、相手を見るたびに変化していないことが変わっていることに映るようになってしまう。
つまり、相手は変わらないのに、変化しているように見えてしまうということ。
自分が変化しているからです。
その変化はそのままの状態という点で良くは受け止められないかもしれません。
それは、自分が向上していると思いこんでいる私からすれば、良くない変化ということになります。
そこにきて蛙化現象が現れます。
相手は私のことが好きだといった。
けれど、相手が好きだといっていた私は変化を基準にしている。
その私の変化を相手は受け入れているのだろうか?
受け容れていなくて、一定に停止したままの私が好きだといっていた場合、もうその私はいないのではないか。
このような疑問から、相手に不信感を抱くのかもしれません。
私は変化する自分が好きな場合、止まっている自分の状態が好きだと思っている相手が嫌いになってしまうのです。
かつ、相手が変化していないと私が想定していた両思いという構図が成り立たなくなります。
私は変化している自分が好きなのであり、相手もその自分を引き受けてくれていると思うからです。
変わっていく価値観の上に私は相手を置いているので、相手にも変化を求めているのです。
相手に変化を強いている、ということ。
蛙化現象は変化に富んだ状態
この蛙化現象を変化に富んだ現象と見た時、私はしっくり来てしまうことに気が付きました。
私はよく自分を変えたいと思うし、それは止まることを知らない。
しかも、誰でもよいのですが「あなたは自分を変えなさいね」と言われたとしましょう。
その場合、そういえば、私は自分を変えたいといつも思っているということに気が付くということです。
私たちは偏見から逃れることができません。
今の偏見を脱すると、新たな偏見の上にいるからです。
それでも、どんな偏見の上にいようとしているのかを考えます。
例えば、ダイエットをしたり、美容に励んだり、本を読んだり、学習したり。
私たちは一般に今良いと思われているものになろうとしています。
それは憧れでもあり、その憧れはいつも変化してしまうので、それに追いつこうとしているのです。
なぜ変化していると思うのかと言えば、時代と共に流行があり、書いてあることも違ってくるからです。
知の移り変わりはいつも起こっています。
なので、いつもそれに追いつこうと努力しているのです。
「あなたは変わることができる」
この言葉だけを取り出したとします。
私は自分をいつも変えようと努力している。
では、どんな自分に変えようと努力しているのかといえば、世間が憧れているような人物だと私が思いこんでいる人物です。
ここにも偏見はあります。
それは、世間で良いと思われているような人物。
なぜかといえば、今の本をとりいれたり、私が今良いと思われることに憧れを抱くからです。
よく、人には自由意志はない、と言います。
それは人が目指す先が決定論的に決まっているからと言われています。
感情でこれが良い!と思うことを変えられません。
これが世間一般で良いと思われている憧れだと仮定します。
決定論を目指すとして、実はその中に自由意志が含まれているという論もあります。
そんな中で自由意志(自分の決定や自分らしさ)がどこにあるのかと言えば、その変化を起こしている最中の自分に自由意志があります。
本当なら、ダイエットに励まなきゃいけないのに食べてしまった。
理想としては月に何冊本を読むと決めていたのに、寝てしまった。
逆に、月何冊だと決めた以上に本を読んだ。
勉強を思った以上に頑張った、なども自由意志に値します。
このような自己決定に自由意志が潜んでいます。
蛙化現象の過程はこの自由意志が関係しているのではないか、と私は思うのです。
私は私を好まなく思う人が好きなのかもしれません。
それは私が自分を変えたいとする部分と共感するからです。
ただ今の自分が好きな部分もあるので、私を好んでくれる人も好きなのかもしれません。
それは私が自分を好きになろうと努力していて、それを認めてくれるからです。
そして、両思いを望まれたときに、そのすべてに対して好きだという思いを相手が望んだとすれば、そこには矛盾が起こってしまうという事にもなります。
蛙化現象-まとめ
私の中に、自分が嫌いな自分と自分が好きな自分がいる。
この蛙化現象は分解してみると、相手にも変化を強いてしまう面があるのかもしれません。
そのことを解消するには、変わらなくても良い自分を認めることかもしれませんが、ここにはその変わらなくても良い自分を認められるようになるという変化が含まれます。
このこと自体も矛盾を含むということです。
性質として、変化したいと思っているとすれば、そのように絶え間ない努力が同じように好きな相手を性質として選ぶ、というのは仕方のないことなのかもしれません。
蛙化現象を分解してみました。
では、お聞きいただいてありがとうございました。