おはようございます。けうです。
「フードテック革命 世界700兆円の新産業『食』の進化と再定義」を読んでいます。
私の家ではデジタル機器が台所にまだあまりないので、技術と実生活がどのように結びついていくのかを身近に考えられていないのかもしれない、と思いました。
けれど、この最新テクノロジーを聞くと、私もそのテクノロジーの中に組み込まれたいなという欲がでてくると思いました。
これを私が自由を選択するとはどういうことか、という視点から取り扱っていきます。
自由に選択するとはどういうことか
私がなぜテクノロジーに組み込まれたい。
そう思ったかということなのですが、私たちはおそらく「選択する自由」にばかり価値観を置きすぎてきたのではないか、と思ったからです。
まずは、選択の自由と結びついてくる概念を、ブランドから説明していきます。
ブランドとは何か
あなたはブランドと聞いたときに何を思いますか?
これを持っていれば自己ステイタスになるといったシャネルとか宝石とかアップル製品とか、人から見られて優位になるものが一番に浮かんできたのではないでしょうか。
では、ブランドが出てきた背景をたどります。
T・レビットの話で言えば、ブランドは社会主義共和国の当時のソ連で発生したものだといわれています。
モノを配る時、国家体制では人々がものを選ぶことがなく供給されていきます。
その中、テレビなら一律の同じテレビ。
パソコンなら一律の同じパソコン。
といったように、モノの選択肢がない状態でした。
政府は人々の欲を知りつつ、それにそった同じ商品を提供していきます。
家電製品店に行けば、テレビコーナーがあって一種類のテレビ、一種類の洗濯機がおかれている状態。
これだと、私たちは選択をせずにただテレビが欲しいと思ったらテレビを買えばいいシステムがあったということです。
テレビA、テレビB、テレビCと選ぶことをせず、テレビならテレビAだけが売られているという状況。
しかし、その人がテレビを見たい欲があるにもかかわらず、テレビは当時売れませんでした。
なぜかと言えば、品質が悪かったから。
例えば、テレビAには確率的に40%ほど不具合がでるという事がわかってきました。
それを知った消費者は、「高いテレビを買うのにそれが壊れていたら損だから買わない。」
このような選択をするようになってきました。
それを知った政府は、テレビ産業を増やすこと考えます。
もしあなたの欲がテレビをみたいことであり、そのテレビ自体をその道具と見なしていたとしたら、不具合がでなければ購入する、となります。
この欲に答えたのがテレビ製品の差別化。
プラス一万円することで、こちらのテレビは保証がついていて絶対にテレビを見れますよ!と宣言すること(テレビBを出すこと)で、人々の購買意欲を勝ち取りました。
これがブランドの発生起源です。
つまり、ブランドというのは見た目の差別化だけでなく、機能性を重視していて、もともとは人の困っている欲に答えるものだったのです。
その選択するのがブランド、というイメージが付きすぎてしまった私たちは、その選択欲だけを広げてきました。
なので、テレビにしても何十種類ある、傘にしても何百種類もある、というようにモノがあふれる時代になってきたともいえます。
私たちが選択できるものを増やしてきたからです。
選択する自由とその目的
何種類もものがあることは、人間の「選択する自由」といえます。
たくさんのモノが目の前にあれば、「選択する自由」への欲望は満たせます。
しかし、もとのブランドに立ち返ってみよう、というのは今のフードテック革命の視点にもあると私は思いました。
テレビは見れればよい。
最新機器は利便性だけが受け取れればよい。
食事は何を食べたいのかではなく、何を食べたら健康になるかにシフトできればよい。
このような大元の欲求を追求する視点です。
今まで選択する欲望ばかりに焦点がいっていたのですが、その先にある目的欲に焦点をむけるようになってきた、という視点です。
テレビにすれば、見れればよい、という欲だけを満たしていこうという観点で、選択欲をそこまで重視しないようになることです。
自由に選択するというのは、ものを選択するほかにその元の価値観を選択することでもあります。
ものの選択の他に、そこに提示されてない選択肢を自分で作りだしていくということ。
自由意志と人新世
その価値観の変容が、ものをあふれさせないようにする、という人新世の取り組みの一歩になるのではないかと思いました。
人新世というのは、今まで何をしても変わらないと思われていた地球に対して、人間の影響が大きいことがわかってきた世の中ということです。
選択する欲望を叶えてきて、ものがあふれる世の中になってきたとき、その資源である地球が痛手をおっていることに気が付いた。
人新世には、人の価値を転換させなければ、地球が病んでいくという価値観を提供しました。
私たちはちょうど、欲望とか自由の価値観を変える時期にきています。
少し前の私だったら、人工知能が提供してくれるプログラムにそって選んだ、食事をしたり、仕事をしたり、とする場面があったとしたら、人工知能に操られているのではないかと思ったかもしれません。
けれど、その人工知能が示しているものが私の欲望を叶えることだったとしたらどうか。
例えば、ダイエットに成功したり、頭が良くなるから、このような行動をとろうと促される。
これをすると地球にとって良い、動物にとって良いからその行動をとろうと促される。
そうしたときに、その一番の目的を自分で選べるとしたら、その選択に対しての欲はそこまで発揮されないのではないかと思いました。
人はそこまで選択欲が強くないというのは、心理学からも言われてきました。
モノがあふれているのが20種類の中から色を選択する行為。
モノが少ない状態が4種類の中から色を選択する行為。
どちらが満足感が高いかと言えば、4種類からと心理学実験では示される傾向があります。
この選択肢を狭めるという行為。
これには哲学の自由意志問題がかかわってくると感じました。
人はなりたいものがあって、それに向かって選択していくことが自由だとする視点です。
その途中経路である、モノ自体の選択には焦点を当てなくする、という視点になります。
人工知能に選ばされているのではなくて、目的を達成するために、人工知能に選択肢を提示してもらっている、と思えばいいのかもしれません。
人工知能を道具とみなす。
私は目的を選んでいるのであり、その過程においては自分の行動を規制していくのが自由なことだと捉えます。
「フードテック革命」における価値観の変容
「フードテック革命」の中で、世の中が多様性、多様化と言われる割には価値の置き所が固定化されてしまっているのではないか、という疑問がありました。
今までで言えば、ものがあふれて選択する自由が価値観のかなりをしめていた状況。
これに対して、「意味を求める」という価値観にかわりつつあると言います。
それならば、自由というのも私たちが自分の目的に合わせて、自分を従わせていくことという価値観の変容にシフトしてもいいのかもしれません。
どこに私の目的や意味を置くのか。
そう考えたときに、私たちはテクノロジーに支配されているという観点から、私は私を支配するために、自分で自分をテクノロジーに従わせているのだという価値観になっていきます。
例えば、フードロスに対して。
もともと決まった量の食材が届いて来れば、ロスを起こすことはありません。
前もって決めておいて、それに従うことで地球を傷つけないという選択はできます。
ただ過程において、選択の幅が狭まっているという自由を阻害された気分が生じることもあるかもしれません。
そんなときに、その選択肢の大本に目を向けます。
地球を傷つけない。
あるいは、体重を減らす。
健康になる。
その為に、今の選択肢は少なくしておこう。
このような価値観の変容です。
「顧客がほしいものがよく分かっている場合には、顧客からのオーダーを待てばいい。しかし、顧客は自分では本当に何が欲しいのか分からない時代、顧客を理解し、先回りしてその顧客が求めていることを実現できるようなソリューションを提案できることが必須となってくる。」
人が持つ元々の欲望を求めていくという視点です。
このように、ものが自由に選べる欲望を狭めていっても、私たちはかえって目的にそった欲望を叶えられます。
「自分が食べているものに対して、なぜそれを食べているのかという意義付けができる」
これを目的にします。
自由意志とテクノロジーのまとめ
私たちは選択するときに、選ばされているのかもしれません。
選択する欲望が操作されている可能性があるならば、目的を自分で定めておけば、自己コントロール感が養えます。
ダイエットをしたいのに、目の前のお菓子を食べるか食べないかという選択が、私の自由を阻害しているというように思う価値観への移り変わり。
テクノロジーの価値提供は、既存の「選択する自由」への疑問を私たちに提示するのではないかと思いました。
「人間の欲望に答えるだけでは、実は他の誰かを傷つけていたり、社会にとって副作用がおきていたりするケースもある。」
わたしたちはただ目の前にある選択をするとき、自由だと思います。
けれど、私が自由を手にする先に、他の人の不自由があるとしたら。
私はさらにその先のその不自由になる人まで見据えた選択をしたくなるのではないか、目の前の選択に提示されていないさらなる選択肢を自分で起きたくなるのではないかと思いました。
例えば、目の前にハンバーガーがあって、ご飯があって、という状況で今の自分と照らし合わせて決めるのではなく、未来のなりたい自分と照らし合わせて決めるという状況です。
では、聞いていただいてありがとうございました。