おはようございます。けうです。
D・カーネギーの「人を動かす」が夫の部屋にあったので、ちょっと拝借してみました。
最近、夫がときどき私への褒め言葉を、急にちょくちょくいれるようになったんです。
なので、何か調べたのかな、と思っていたら部屋からこの本を発見しました。
この本は1999年発行なんですが、今でもベストセラーとして読まれ、日本で500万部突破しています。
なので、帯タイトルにあるのですが「接客の基礎」といえる内容になっています。
「人を動かす」の感想
初めに読んでみて思った事。
具体例がたくさんなので、頭に入ってきやすい。
ストーリーが想像しやすいと思いました。
そこから章を上げてみます。
1・人を動かす三原則
2・人に好かれる六原則
3・人を説得する十二原則
4・人を変える九原則
付録・幸福な家庭をつくる七原則
これらが題名というのは、知りたくなりますよね。
>>「人を動かす」はこちら
このなかでどのにも言えるのは、一般的に人を褒める、人に重量感を持たせるといった、人を大切にするということ。
ただし、お世辞だとバレてしまうので心から良いと思ったことを見つけて話すことだ、と述べられていました。
「私に最も必要な栄養物は、自己評価を高めてくれる言葉だ」このような褒め方です。
「相手の自己評価にぴったり合うことを言ってやること」というような。
では、私は夫から非難されてしまうことが多いのですが、かえって褒められたときに疑いも生じてしまいました。
ということは、私の自己評価にぴったり合う言葉になっていないということですよね。
ということは、私は自分をなんだと思っているのかな、とも思いました。
自分に評価を持っていないのかもしれない。
いつも疑問に思っているのかもしれない。
でも、褒められるとすぐには嬉しい気持ちになることは多いのは間違いないな、と思いました。
そのような疑問も浮かびますが、私が実験台にされているのかな、と思いました。
そして、私は昨日の漱石の言葉を思い出しました。
解釈からみる昔の道徳と今の道徳
昔の道徳と今の道徳は違う。
>>文芸と道徳
昔の何々をすべきと書かれている道徳は、昔の道徳でしかない、という言葉です。
この本はいわゆる大ベストセラーで、普遍的な書物にもなろうとしています。
なら、これに忠実に従うことは昔の道徳になるのか?
と思ったんです。
この本は、まさに道徳のように人に対する事柄が網羅されているんです。
ここには一般的に言われていることを思い出しました。
世間で言う教科書は存在する、と。
人はまず教科書をお手本にして、それから独自のシステムを構築していったりします。
昔の良書と言われているものも同じく、教科書的な役割を果たします。
そう思ったとき、人間の二面性を意識しました。
社会的に正解といわれてカタチ作られている道徳。
個人に会うカタチに作られた倫理。
もし私が褒められた言葉に対して、有頂天になり、機嫌がよくなっていればそれは成功しているということ。
それも一理あるんです。
なんですが、急に変わった夫の言葉に私は違和感を覚えていて、そして、この本を見つけてしまったということなんです。
私はぱっと聞いた私は有頂天になり、思慮した私は不思議に思う。
では、どちらが自分なのか、という話なんですけど、それは両方なんです。
ただ自分の心を分解したときに、理解してからこの解釈がいいな!と思ったことを、人は後々には受け入れたくもなるのかな、と思いました。
それが今の道徳ですね。
例えば、その場では慰めてくれたり、元気づけてくれたりという昔の道徳が無かったとする。
でも、その時に将来にわたって役立ちそうな知識を教えてくれるとします。
二つとも必要。
けれど、よくよく考えたときに長期的な目線で見て考えてくれている方に、思慮を入れた私は自分を感じたということでもあります。
褒めにすぐに喜んだ私は動物的な私。
疑問に感じた私は人間的な私。
そのような区分けかもしれません。
褒められたら喜ぶ、というのは真実なんですけど、動物的な私のような気もしてしまいます。
抜粋から思う今の道徳
もう一つ抜粋して私の言いたいことの例を上げます。
「他人のことに関心をもたない人は、苦難の人生を歩まねばならず、他人に対しても大きな迷惑をかける。人間のあらゆる失敗はそういう人たちの間から生まれる」
私は、迷惑とは何だろう、失敗とは何だろう、とよく考えます。
失敗が個性をうむ、とも思っているんです。
そして、失敗は一見聞くと悪い面ばかりが見えるんですけど、失敗は成功の元というように、失敗があっての成功なんですよね。
この昔の道徳を見つつ、私に当てはめた道徳を解釈しようと私はしているということ。
なので、きっとこの道徳の本があって、動物的な道徳は存在している。
ただし、今の道徳も存在している、ということなのかな、と。
今なら有名度で比較するとこの「人を動かす」よりも「嫌われる勇気」というキャッチフレーズの方が有名かもしれません。
移り行く道徳、ですね。
それは、動物的な自分と社会的な自分をわけて考えれば、普遍的な部分と変動的な部分がでてくる。
そこで分けて考えなければ、それすら変動的なのかもしれません。
そうなると、時代と共に移り行く道徳ですね。
さらにこんな文も。
「作者が人間を好きでないなら、世間の人もまたその人の作品を好まない」
これは小説を書くなら人を好きになろう、という解釈を意味していました。
でも、読者が人間好きではない人ならば、同じような感性を持つと言う理由で作者のことを好きになるかもしれない、というのはあります。
ここでは一般論と自分論という区分けになるのかもしれません。
「人を動かす」まとめ
書かれていることは一緒かもしれませんが、時代と共に解釈は変わりゆく。
時代だけではなく、個人によっても解釈は変わってきます。
ということは昔の良書はまた昔の良書として今の読まれ方をする。
すると、今の道徳でも十分通用する部分や真似したい部分もでてくる。
そして、新しく解釈される部分もでてきます。
そうなると、また新しい本全体の解釈もされていくのかもしれません。
私はこの「人を動かす」を読んで、とくに批判したいのではありません。
道徳として知識は身につけたいなと思いましたし、とても参考になりました。
ただ、その技法を駆使されて私が動かされたとして、良い気分と疑いの部分をもったことは確かだな、ということを考えました。
そして、解釈の幅は大きいな、ということも実感しました。
では、聞いていただいてありがとうございました。