ヘレニズム時代

ヘレニズム時代の哲学|高校倫理2章⑤

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
今回は
高校倫理第2章
「人間としての自覚」
第1節「ギリシア思想
ヘレニズム時代の哲学
を扱っていきます。
倫理は自分の生き方を学ぶ学問でもあります。
前回2章④「『万学の祖』アリストテレス」をやりました。
>>「万学の祖」アリストテレス
今回は、その後「ヘレニズム時代の哲学」を扱っていきます。
ブログ構成
  • ヘレニズム時代とは
  • ストア派
  • エピクロス派
  • 二つの思想の具体例

ヘレニズム時代とは

ヘレニズム時代はアレクサンドロス大王が各地を統一していく中で没し、そこから後継者が統治したプトレマイオス朝エジプト王国が滅亡するまでの期間のこと。
地中海一帯がローマによって統一されるまで(ローマ時代になるまで)の約300年間の時期を指すことが通説となっているようです。
アレクサンドロス大王は広範囲を遠征によって支配していったんだね!
遠征によってギリシア文化とオリエント文化(エジプト、メソポタミア、フェニキア、ペルシアなど)の文化が混交。
特にギリシア人は自分たちのことをヘレネスと呼び、そこからヘレニズムと言われたのではないかと言われています。
ヘレネスがバルバロイ(異民族を呼んだ言い方)を支配することはあっても
バルバロイがヘレネスを支配することなどなりませぬ 母上
あちらは奴隷 こちらは自由な民なのです
ヘレニズムの思想家 岩埼允胤 抜粋」
ギリシア人が各地を支配していったので、ヘレニズム文化は奴隷制とは切り離せません。
アレクサンドロス大王の家庭教師はアリストテレスで、アリストテレスは奴隷天性論を述べ、奴隷を肯定しました。
戦争、奴隷の蜂起といったさまざまな戦い。
混乱したヘレニズム時代は「いかにして心の平安を取り除くか」がテーマになりました。
哲学の目的も「真理の追究」ではなく、「どのように生きたらよいか」というのが問題になってきます。
ヘレニズムの哲学の特徴
  • ポリス(小さな共同体)がなくなった緒個人の哲学
  • 哲学の目的は真理の追究ではなくなる
  • 科学的研究からの分離
    (「ヘレニズムの思想家」まとめ

ポリスにしばられない世界市民(コスモポリーテース)としての生き方が求められました。

そんな中でてきた「エピクロス派」と「ストア派」を扱っていきます。
哲学が時代によってがらっと変わるのは面白いね!
>>認識論的切断とは

ヘレニズム時代「エピクロス派」

エピクロスは快楽主義を主張しました。

エピクロス派は創始者エピクロスの名前がそのまま使われています。

快楽を追求していいの!?
「水と一切れのパンさえあれば幸せ」という快楽ね!
快楽主義といっても、現代でいう快楽のイメージとはほど遠いかもしれません。
エピクロスは「肉体における快楽は、欠乏による苦痛がひとたび取り除かれると、増大せず、多様化するだけである」と述べました。
つまり、エピクロスにとっては一切れのパンと豪華なステーキの価値は一緒。
彼は快楽について、真の快楽は刹那的・衝動的なものではなく、永続的・精神的なものであると主張しました。
お菓子食べてたら太ってしまった…
豪華で贅沢というのも思い込みだって説いたんだね

エピクロスのアタラクシア

エピクロスはデモクリトス「万物の元は原子」(原子論、唯物論)を発展させました。

人は原子からできているのだから、死んでしまえば感覚は消える。

つまり、魂の死後の存続を否定したのです。

デモクリトスの書物は神への不敬罪で多くが燃やされてしまっていたんだけど、エピクロスが残りを受け継いだよ
死後の世界はない、贅沢や名誉や権力というのは迷信。
死の恐怖や迷信を論理的に根拠がないものだとして、精神的不安や苦痛を取り除くことが真の快楽をもたらすと考えました。
さらに、実践的にも公人として活動せずに「隠れて生きよ」と説きます。
魂の平静(アタラクシア)⇒「死の恐怖や迷信を根拠がないと認識」+「隠れて生きる」
エピクロスは異性にも触れず、パンと水だけで静かに生きることを快楽と考えました。

アタラクシアが快楽主義と呼ばれる理由(教科書外)

エピクロスの快楽は永続的・精神的なもの。

それは求めるもの(主義)でもあります。

例えば、

  • 太りたくないのでお菓子を置いておくのをやめる
  • 不安になるので恋人を作らない
  • 自分に必要な金額を知り、それをただ稼げばよいようにする
  • 大勢の前で注目されないようにする

つまり、自分が欲望を発揮してしまいそうな環境を遠ざける努力を必要とします。

目の前にお菓子があるから仕方がないよね!パクッ
このような衝動は人間に備わっているとエピクロスは認めます。
なので、あえてその欲望から遠ざかるように努力する(永続的快楽をもとめる)のです。
よーし、私はお菓子を隠しておこう!
お菓子やごちそうを食べないような生活をしていれば「水と一切れのパン」さえあれば永続的な快楽が得られると考えることができます。
空腹は何よりのスパイスです。
かえって、贅沢な毎日をしていれば「水と一切れのパン」の生活は不幸にしかなりません。
このダイエット感覚を生きるということに当てはめて、名誉欲や権力を欲しがらないように「隠れて生きる」ことを説いたのです。
出世できそう…いや、利点ないかも
現代社会の傾向として、出世欲がないというのは、エピクロス派の思想と似ているところがあります。

次に、エピクロス派に反対したストア派を見ていきましょう。

ストア派がエピクロス派を批判したせいで、誤解されやすい快楽主義と言われるようになったという説があるよ

ヘレニズム時代「ストア派」

ストア派の創始者はゼノンです。

「自然にしたがって生きる」ことが人生の目的であると主張しました。

人間は自然全体(理性の支配する世界)の一部として、自然によって理性が与えられていると考えたのです。

ストア派は「耐えよ、控えよ」と説いたよ
人間は理性に従うことが善いこと。
理性の所有という点で人間はすべて平等と考えました。
つまり、「生まれながらにして奴隷である人間はない」と主張。
過度の衝動である欲望や快楽などの情念(パトス)に振り回されない無情念(アパテイア)をめざす生き方が説かれました。
自分が奴隷だったとしても心まで奴隷じゃないのは理性があるから!
理性的な生き方は自然にしたがった生き方
情念は否定されましたが、親愛の情などのよい情念とされているものは肯定したと言われています。
自然にしたがった魂の状態が徳。
徳が唯一の善。
ストア派は徳として思慮・勇気・節制・正義をあげています。

ストア派の自然法

ストア派は禁欲主義と言われています。

情念を克服した無情念(アパテイア)を実現すると、欲望から解き放たれた境地に達することができると説くからです。

ストア派の周りは、普通に欲がある状態。

例えば、美味しいもの、お金、もっと楽ができるといった環境です。

しかし、それを理性によって抑え込む生活(禁欲)をすることで、自然(理性)と調和できるようになると言うのです。

ここにお菓子がある…あれっ?なんか食べたいって思わなくなった
自然全体は理性的な法の支配するポリスであり(世界市民)、すべての人間は自然の法のもとで平等であると説きます。
この自然の考え方はのちの自然法思想の源流にもなりました。
>>社会契約説の発生
代表的なストア派の人物としては、セネカ、エピクテトス、マルクス=アウレリウスがいます。

ストア派のエピクロス派への批判(教科書外)

ストア派後期のエピクテトスの思想からストア派を見ていきます。

ストア派の主張は自然に従うこと。

つまり、あなたが軍師ならばその仕事をまっとうするし、あなたが奴隷ならばまたその仕事をまっとうします。

エピクテトス自体、出身が奴隷でした。

奴隷身分であるならば、奴隷としての仕事を精一杯こなします。

自分の心が奴隷なわけじゃなくて、社会の役割として奴隷であるだけ

エピクロス派のように欲を発揮してしまいそうなところを避けたり、隠れて生きたり、といった努力をストア派は否定したのです。

生まれつきの身分や容姿など、自分次第ではないものを軽く見ろ、と説きました。

「君ができること、まさにそのことに励めばよい」という思想です。

イタリアの漁師

ネットで人気になったと言う「メキシコの漁師」の話(簡略化)をエピクロス派とストア派との比較として用いてみます。

  • エピクロス派=メキシコの漁師
  • ストア派=旅行者のエリートコンサルタント

メキシコの漁師はとても活きの良い魚を旅行者に売りました。

旅行者「すばらしい魚だね!どのくらい漁をしていたの?」

漁師「すぐに採れたよ」

旅行者「もっと魚を採らないの?他の時間は何をしているの?」

漁師「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

旅行者はハーバード大学卒業の経営コンサルタントでした。

旅行者「もっと漁の時間を増やせばお金が増えるよ。それでお金持ちになって、漁用の船も買える。君は才能があるんだから、もっとその才能を活かすべきだよ!」

漁師「お金持ちになったら、君は何をしたいの?」

旅行者「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう?」

エピクロス派の漁師は自分の足るところを知っています。

もっとその才能を活かして働くことはせずに、自分にとって最小限のお金を手に入れて、自分にとっての永続的な快楽を求めます。

もし、漁師がストア派ならば、自分の職務をまっとうして漁師としてさらに漁業に励もうとするからです。

漁師だけど最低限の仕事をするという世欲からは隠れた生き方

ストア派の旅行者は自分の職務をまっとうしています。

コンサルタントという仕事をして、それが結果となって旅行ができるような状態です。

自分の才能を活かして、多くの人にお金稼ぎの内容を教えています。

自分の仕事を精一杯やっている!
この話の勝者は漁師に見えますが、仕事的な観点から見てみましょう。

漁師の住んでいる地域では、飢餓者がいたとします。

漁師が魚をもっと取ってくれていたら、助かるのに、と。

しかし、漁師は自分のアタラクシア(魂の平静)に関心があるので、まわりのことは気にしないのです。

漁師という役を与えられているのに、それを精一杯はこなしていません。

ヘレニズム時代の哲学は生きるのに精いっぱいで、自分中心の哲学だったとも言われている
ストア派も自分中心なのですが、自然に従って自己をまっとうするだけで社会のためにもなっている、と考えることができます。
なので、ストア派の思想はカルバンの予定説を思い起こさせると言われているのです。
カルバンの予定説における解釈の一つ
  1. 神様によって助かるかどうかは決まっている(ストア派も運命に従う)
  2. 決まっていて、それを示すものはお金や富である
  3. お金持ちは助かる者だ
  4. 自らに課せられた労働に励んだ結果、お金持ちになる(自然にしたがって精一杯生きる)
さらに、個人主義を脱却するような現代的な観点からすれば、「世界は贈与でできているという思想」や、「利他とは何か」といった思想も浮かびます。
エピクロス派とストア派は、自然法則の強制力において思想的な違いが見えてきます。
  • エピクロス派⇒自然法則は絶対ではないから、自分の快楽を求める
  • ストア派⇒自然法則は絶対であり、従っているとそれが幸せにつながる
「君は演劇の俳優である」
脇役のままでも、精一杯生きなさい。
ストア派エピクテトスの思想が刺さる…

ヘレニズム時代の2つの哲学

なぜ倫理で「エピクロス派」と「ストア派」の二つをとりあげるのか、という問いの一つは現代とのつながりです。

エピクロス派はデモクリトスの思想(原子論)を発展させ伝えていきました。

原子という思想は現代科学でも重要な概念になっています。

ストア派は自然法思想の源流の一つです。

自然権の主張によって社会契約説、人権の獲得などにつながっていきます。

科学も人権も今の世の中にとって重要!
ヘレニズム時代を扱いました。
ヘレニズム時代が終わると、古代から中世に移ります。
中世になると「哲学は神学のはしため(召使い)」といわれるようになったのです。
どのような思想の移り変わりがあったのか。
次回はキリスト教について取り扱います。
>>キリスト教誕生の物語
参考文献
「ヘレニズムの思想家 岩埼允胤」「哲学と宗教全史 出口治明」「新しく学ぶ西洋哲学史 2022」
「奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業 荻野弘之 かおり&ゆかり」「哲学用語図鑑」
ヘレニズム時代
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に