「日本人としての自覚」
第1節「古代日本人の思想」
①和辻哲郎の「風土」
>>ゴッホと芸術
>>間柄的存在とは
無意識に暗闇が怖い理由を文化からわかろうとしてる
- 和辻哲郎は風土をなぜ考えるようになったのか
- 風土からみたモンスーン
- 風土からみた日本人
参考文献 「風土」(和辻哲郎)、続・哲学用語図鑑(田中正人、斎藤哲也)
和辻哲郎は風土をなぜ考えるようになったのか
和辻哲郎は風土を書くにあたって、哲学者ハイデガーに影響をうけたと言われています。
ハイデガーの「有と時間」を読み、その中で人の存在を時間性と空間性として認識しているものの、物足りなさを覚えたのです。
ハイデガーの「被投性」(ひとうせい)
ハイデガーが説く「被投性」(ひとうせい)とは、自分がある状況に投げ出されていることを指します。
>>ハイデガーの世人(ダス・マン)とは何か
- 人は自分の死が避けられない
- 人は物心ついたときにはすでに存在している
このすべての人に共通していることをハイデガーが被投性と呼びました。
人間は自分の気分をコントロールできないときに「被投性」に気づかされます。
この考え方に和辻は共感するのですが、環境への考察がハイデガーの哲学に欠けていると感じました。
例えば、「花鳥風月」や「雪月花」などといった日本独自の美しい自然観。
これは日本に四季があるからこそ出てくる言葉で、それに対する感情もその言葉を介して表現されます。
和辻哲郎の「風土」からみたモンスーン
和辻哲郎は、人間との関係として捉えた自然を風土と呼びました。
和辻にとって風土とは、自然そのものを第一の自然と仮称すれば、いわば第二の自然であって、人間が長い歴史の過程において、自然の脅威に対峙しつつ、またその恩恵に浴しつつ、自分の中にはぐくみ、蓄積してきたところのものである。
※風土における解説「風土」p368
このような理解です。
- 第一の自然⇒自然そのもの
- 第二の自然⇒和辻の風土、「社会的自然」
和辻は風土をモンスーン型、砂漠型、牧場型の3つにわけて考察しました。
類型 | モンスーン | 砂漠 | 牧場 |
風土 |
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日本は温帯モンスーン気候に所属。
他との違いを含め、モンスーンの特徴を主に紹介していきます。
モンスーン
モンスーン地域では、動植物の生命に満ちあふれており、自然によって大きな恵みがもたらされる反面、暴風や洪水といった暴威ももたらされることになると指摘しました。
和辻は日本から出て海外に行った経験をたくさん引用してる
>>天才と変人は紙一重
モンスーンと比べた砂漠
和辻哲郎自身は日本出身だから、砂漠の地域の生活には根差してはいないんだね
モンスーンと比較した牧場
モンスーンと牧場地域は農耕ができるという点で似た点もありますが、違いも多くあります。
例えば、先ほど少し述べた雑草。
ヨーロッパ地方に雑草がほとんどないということは、農耕において雑草との戦いが不必要だということを意味します。
牧場では、自然との戦いという契機が欠けているのです。
>>人新世とは
暴風の少ないところでは樹の形が合理的になる。すなわち自然が暴威を振るわないところでは自然は合理的な姿に己れを現わして来る。‐人は自然の中から容易に規則を見いだすことができる。
(「風土」p113)
>>ギリシア思想
和辻哲郎の「風土」からみた日本人
和辻哲郎はモンスーン地域でも、とくに日本を取り上げて考察していきます。
モンスーン型でもとくに四季の移りかわりのはげしい日本では、激情的でありつつ、しめやかな情緒をもち、淡泊であきらめのいい性質がつくられたとされる(倫理の教科書p75)
日本はモンスーン的なのですが、規則的な季節風とは異なり、きわめて変化に富む季節風にもまれていると和辻哲郎は述べます。
例として和辻の日本人観をまとめてみます。
- 四季折々の変化が著しいように、日本人の受容性は調子の早い移り代わりを要求するので、活発敏感
- 変化の各瞬間に突発性を含みつつ前の感情に規定さられた他の感情に転化する
- あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従
- 自然に対して征服も敵対もせず、持久的ならぬあきらめに達する