和辻哲郎の風土

和辻哲郎「風土」をわかりやすく|高校倫理3章1節「古代日本人の思想」①

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第3章
「日本人としての自覚」
第1節「古代日本人の思想」
①和辻哲郎の「風土」
を扱っていきます。
前回は2章の最後「ゴッホと芸術」についてやりました。
>>ゴッホと芸術
ここから3章「日本人としての自覚」をやるにあたって、まず初めに教科書では和辻哲郎の「風土」を紹介しています。
なぜここで「風土」を紹介するのか。
それはこの和辻哲郎の考え方が、これから扱っていく日本思想にかかせない基礎になる考え方だからです。
和辻哲郎「人間とは間柄的存在である」
>>間柄的存在とは
間柄的存在⇒人を人との関係(社会での協調)と個人(個性)とでとらえること
個人は社会がないと成立しないし、社会は個人がないと成立しません。
自己の肯定と否定のくりかえしの運動が、真の人間性を作ると和辻は説きました。
人間性は運動
では、私を知ることと環境を知ることは自己にどのような効果をもたらすのでしょうか?
例えば、暗闇に幽霊なんていない、を知識として持っていたとしましょう。
知識は個人的です。
そこであなたは暗闇で肝試しをしようと試みました。
幽霊なんていないって聞いたのに、足がすくんじゃう…
場所によってはゾンビを怖がるかも
幽霊が怖いという文化で育ってきていたとするなら、すぐにそこから抜け出すことは困難。
このように、人間というのはその環境にも規定されます。
それを日本の環境から考察したのが、和辻哲郎の「風土」。
「風土」を元に日本人とは何かを探っていきましょう。
和辻の思想は、知識だけじゃなくて「わかる」ところまで想定しているんだね。
無意識に暗闇が怖い理由を文化からわかろうとしてる
ブログ構成
  • 和辻哲郎は風土をなぜ考えるようになったのか
  • 風土からみたモンスーン
  • 風土からみた日本人

参考文献 「風土」(和辻哲郎)続・哲学用語図鑑(田中正人、斎藤哲也)

和辻哲郎は風土をなぜ考えるようになったのか

和辻哲郎は風土を書くにあたって、哲学者ハイデガーに影響をうけたと言われています。

ハイデガーの「有と時間」を読み、その中で人の存在を時間性と空間性として認識しているものの、物足りなさを覚えたのです。

西洋哲学は個人を個として考えがちで、ハイデガーの思想がそこから出ていないと思ったみたい

ハイデガーの「被投性」(ひとうせい)

ハイデガーが説く「被投性」(ひとうせい)とは、自分がある状況に投げ出されていることを指します。
>>ハイデガーの世人(ダス・マン)とは何か

  • 人は自分の死が避けられない
  • 人は物心ついたときにはすでに存在している

このすべての人に共通していることをハイデガーが被投性と呼びました。

人間は自分の気分をコントロールできないときに「被投性」に気づかされます。

投げ込まれている存在だから、意識しないと「本当の自分」に気がつけないって思ったんだね

この考え方に和辻は共感するのですが、環境への考察がハイデガーの哲学に欠けていると感じました。

例えば、「花鳥風月」や「雪月花」などといった日本独自の美しい自然観。

これは日本に四季があるからこそ出てくる言葉で、それに対する感情もその言葉を介して表現されます。

ヨーロッパには雑草って言葉がないんだって
その分、農耕がこっちより楽に感じているはずだから、農耕という言葉のイメージも違うはず
私たちは文化を比較することで、自分たちの特殊性に気がつきます。
和辻哲郎はハイデガーの哲学の足りないところを、「風土」の考察をいれることで発展させようとしました。

和辻哲郎の「風土」からみたモンスーン

和辻哲郎は、人間との関係として捉えた自然を風土と呼びました。

和辻にとって風土とは、自然そのものを第一の自然と仮称すれば、いわば第二の自然であって、人間が長い歴史の過程において、自然の脅威に対峙しつつ、またその恩恵に浴しつつ、自分の中にはぐくみ、蓄積してきたところのものである。
※風土における解説「風土」p368

このような理解です。

  • 第一の自然⇒自然そのもの
  • 第二の自然⇒和辻の風土、「社会的自然」

和辻は風土をモンスーン型、砂漠型、牧場型の3つにわけて考察しました。

類型 モンスーン 砂漠 牧場
風土
  • 自然はゆたか、暴威もふるう
  • 受容的、忍従的
  • 農耕
  • 自然は厳しく、死に満ちている
  • 対抗的、戦闘的
  • 遊牧
  • 自然は穏やかで従順
  • 自発的、合理的
  • 農耕と牧畜

日本は温帯モンスーン気候に所属。

他との違いを含め、モンスーンの特徴を主に紹介していきます。

モンスーン

モンスーン地域では、動植物の生命に満ちあふれており、自然によって大きな恵みがもたらされる反面、暴風や洪水といった暴威ももたらされることになると指摘しました。

自然が良いことも悪いこともするから、受容的、忍従的になるって考えた
他の地域と比較して考えてみます。
比較しないと自分の特殊性がわからない、という前提があるよ!
和辻は日本から出て海外に行った経験をたくさん引用してる
自分のことも比較しないとわからない
>>天才と変人は紙一重

モンスーンと比べた砂漠

モンスーン地域には砂漠があまりありません。
砂漠と言う風土の外に住む人間は、砂漠を外から眺めました。
そして、単なる砂の海だと解釈。
しかし、砂漠に暮らす人にとってそれは住むもののない、生気のない、荒々しい、極度にいやなところとして捉えられました。
なので、モンスーンに対して砂漠は対抗的、戦闘的になります。
和辻の風土は主観的、という意見もあるよ!
和辻哲郎自身は日本出身だから、砂漠の地域の生活には根差してはいないんだね
でも、一時的な砂漠生活でも、そこで砂漠の本質的理解ができたら、歴史的・社会的なる砂漠に「入り込んで生きる」ことをなし得ると、和辻は述べているよ(風土p66)

モンスーンと比較した牧場

モンスーンと牧場地域は農耕ができるという点で似た点もありますが、違いも多くあります。

例えば、先ほど少し述べた雑草。

ヨーロッパ地方に雑草がほとんどないということは、農耕において雑草との戦いが不必要だということを意味します。

牧場では、自然との戦いという契機が欠けているのです。

草取りしなくても種をまくだけでも成長する!
人新世(人が自然に影響を与えすぎた)では、牧場傾向が強くなりそう
>>人新世とは
 そして、自然が猛威を振るわない分、自然を支配できるという自発的な考え方が発展します。
暴風の少ないところでは樹の形が合理的になる。
すなわち自然が暴威を振るわないところでは自然は合理的な姿に己れを現わして来る。
‐人は自然の中から容易に規則を見いだすことができる。
(「風土」p113)
合理性が発達しやすいのです。
牧場型であるギリシアから哲学が生まれてきたという歴史的経緯もあります。
>>ギリシア思想

和辻哲郎の「風土」からみた日本人

和辻哲郎はモンスーン地域でも、とくに日本を取り上げて考察していきます。

モンスーン型でもとくに四季の移りかわりのはげしい日本では、激情的でありつつ、しめやかな情緒をもち、淡泊であきらめのいい性質がつくられたとされる(倫理の教科書p75)

日本はモンスーン的なのですが、規則的な季節風とは異なり、きわめて変化に富む季節風にもまれていると和辻哲郎は述べます。

例として和辻の日本人観をまとめてみます。

  • 四季折々の変化が著しいように、日本人の受容性は調子の早い移り代わりを要求するので、活発敏感
  • 変化の各瞬間に突発性を含みつつ前の感情に規定さられた他の感情に転化する
  • あきらめでありつつも反抗において変化を通じて気短に辛抱する忍従
  • 自然に対して征服も敵対もせず、持久的ならぬあきらめに達する
例えば、第二次世界大戦で日本がアメリカに占領されたとき、あきらめがよく比較的に従順だったとか聞くね
激情的でしめやかな情緒という意味では、「古事記」や「書記」では、生命の否定において恋愛の肯定を示しているとあります。
命をかけてきみを守る!(こういう態度は美徳)
でも、執拗であってはいけないから、きれいにあきらめる(淡泊)のも美徳
あらゆる時代を通じて日本人は家族的な「間」において利己心を犠牲にすることを目指していました。「風土p211」
他にも日本人的なものとしては他の文化の取り入れです。
ただし、そのまま取り入れているわけではありません。
西洋が電車や道路などを道具として扱っていたのに対して、日本はそれを主役として取り入れました。
西洋では人が使う補助的な役割として目立たなく小さな道路だったりするのですが、日本では道路がでかでかとあり主役級になる傾向があります。
西洋からの道路を珍しい(愛らしい)贅沢品として取り入れたんだね
今回は和辻哲郎の「風土」を扱いました。
この風土的観点から、日本の歴史や文化を見ていくことで、日本人とは何かということを探っていきます。
次回は日本の「神との関わりと道徳観」を見ていきます。
和辻哲郎の風土
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