フーコーのエピステーメーとは、時代ごとに異なる知の枠組みです。
この用語が出てきたのは古代ギリシャですが、今のエピステーメーとは違う使われ方をしています。
これこそがまさにエピステーメーです。
フーコーのエピステーメー⇨時代ごとに異なる知の枠組み
昔のはやり言葉⇨今では廃り言葉
神秘的な石⇨科学的に分析し、〇〇の効用をもった石
かわいい⇨やばい
フーコーのエピステーメーとは
知の土台を明らかにすることが、学問の基礎を築くことになる。
エピステーメーを時代から考察
フーコーは知の考古学という発想の中でエピステーメー(時代ごとの知の枠組み)を見出していきました。
16世紀以前のエピステーメー
まずは16世紀以前のエピステーメーを見ていきます。
この頃は動植物の存在の意味に関心があったそうです。
伝説や神話を知ることで星に意味を見出す。
天体の運行に人の運命を見出す。
このように「暗号」を解くことが重要視されました。
アダムとイブの神話や宗教神話などは今でも意味を持っています。
現代では物語と考えられているものが学問とされました。
17~18世紀のエピステーメー
17,18世紀頃のエピステーメーを見ていきます。
このころは、世界とは可視化できるものであって、動植物を見た目によって区別、分類することが重要視されました。
動植物は見た目が違っていても、グループ分けができます。
私たちがなんとなく犬、猫、ハムスターと見た目によって区別していたものも、見た目によっての区分が重要視されていたということ。
ということは、同じような見た目の虫がいたとして、もしかするとこの頃では中身まで見ていなかったので、違う種類だったということはありそうです。
19世紀以降のエピステーメー
動植物の器官の機能に関心が移ります。
「生命」や「人間」という概念がうまれました。
この「人間」の発見から「人間についての考察」が始まったのです。
主に「実存主義」の人間についての概念が採用されています。
しかし、ここで出来た「人間」という概念に関して、すでにフーコーはこの概念が正しくないと述べます。
この「人間」の概念は「自分の意志で主体的に行動する人間」という意味が込められているのです。
この概念を批判することは、次のエピステーメーに向かうことを意味します。
現代でも「人間」の概念について議論されています。
その概念が知識の枠組みと共に時代と移り変わっていけば、「人間」という概念の使い方が昔と今とで違ってくるのです。
なので、昔の本を引用する時には意味にも気をつけながら使う必要がでてきます。
エピステーメーを知る利点
古くからの真実を人々の心にとどめておきたいなら、世代ごとにその言語と概念で作り直さなければならない。
この言葉の抜粋は「21世紀の啓蒙」(スティーブン・ピンカー)から抜粋しました。
この本の題名に21世紀という文字がつけられている理由は、今の世代にあった言語と概念を話している、ということを表します。
その時代による知をエピステーメーにより知ると、後世の人に自分の伝えたいことが明確に伝わる要素が増えます。
他の言葉によっても、知を規定しておこうと考えたり、具体例を出したりしようと思うからです。
そして、私たちが過去の書物を読むときもこの点に注意ができます。
その違いに気がつかずに読んでいたとしたら、自分の偏見や思い込みによる読み方が多いのかもしれません。
ただそれでも読めていた事実があるので、その場合はその時代のエピステーメーを知ることが、自己発見につながるかもしれません。
自分が解釈をこのような意味でしていたのか、と物事の違った側面が見えてきます。
フーコーのエピステーメー‐まとめ
フーコーのエピステーメーとは時代ごとに異なる知の枠組みを表します。
エピステーメーは時代とともに変化します。
そのことを知っておくと、昔の文書を読むときに誤読が少なくなったり、後世の人に自分の論文をより正確に伝える役に立ちます。