哲学者ショーペンハウアーはこう言いました。
「読書とは他人にものを考えてもらうことである。
一日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。」
これはショーペンハウアー「読書について」に出てくる格言です。
この言葉について、ある疑問が浮かびます。
読書をすれば、自分で考えていることにならないのかな?
「読書について」の格言から考える
上の格言に続いて、このような文も出てきます。
読書とはいってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。
この文から、「自分の頭で考える」ことと、「他人の頭で考える」ことを対比にして考えていきます。
「自分の頭」と「他人の頭」の思考の違いとはなんでしょうか。
日常の一コマです。
あなたはコーヒーを飲んでいました。
「コーヒーを飲むと集中力が上がる」
このようなことを疑問に思いました。
一つ目の回答として、中に入っているカフェインが原因かもしれない。
おそらくカフェインが集中力を上げているんだろう!
という結論を出しました。
でも、あなたは疑問になります。
カフェインってそもそもなんだろう。
ほんとにそんな効果があるんだろうか。
そんなことを疑問に思ったあなたは、きっと本を手にとったり、スマホで情報を調べようとします。
ここでは、疑問から回答までは自分の頭から情報を取り出していましたね。
ここから、本を読むことにします。
ん?さらにはこんな情報もあるのか?
情報不足をまずは補いました。
ところが、その情報以上の考えが本にはのっていました。
なので、本の情報にそって男の子は考えていくことになります。
作者の情報どおり、作者が考えた道筋をたどって考えていくのです。
本を読む前に疑問になっていたことはカフェインだけでした。
ところが、その後の疑問を本によって考えさせられているのです。
そう、このように学ぶこと。
これをショーペンハウアーは「他人の頭で考える」ことだと述べているのです。
私が疑問をもった一つの回答はカフェインについて、でしたが、本ではさらに他のことを考えさせてくれました。
これが「他人の頭で考える」ことだとショーペンハウアーは述べます。
私が「他人の頭で考え」させられた情報をそのままたどっていくからです。
本を読む前、私はそのカフェインの先の情報を疑問に思っていたわけでも、体験したり、気になったりしていたわけではありません。
しかし、読むことで自分とは違った仕方で考えている考え方を、そのままたどっていくのです。
そのことが「他人の頭で考える」ことです。
「読書について」から「自分の頭で考える」
「読書について」からまた引用します。
思想家の特徴は、すなわち問題を取り扱う態度が真剣であり、事柄そのものを自ら直接に根本的に問題にしているという印象を与える。
先ほどの例でいったコーヒーについての実体験的な疑問。
これは自らの根本的な疑問ですね。
他にも例えば、何かトラウマ体験や何度も思い返すようなできごと。
このようなことは自らの根本的な問題になっています。
ツァイガルニク効果と「自分の頭で考える」
ツァイガルニク効果とは「人は達成できなかった事柄や中断している事柄の方を、達成できた事柄よりもよく覚えているという現象」です。
ずっと頭に留まっている根本的な問題は、記憶に残りやすいという心理学効果です。
さらに疑問が浮かびます。
では、その根本問題や頭にある問いがなくなったら、人は自分の頭で考えていない、と言えるのではないか。
私は「自分の頭で考えていない」という答えを今のところ出しています。
例えば、人は慣れていないことをするときに、脳が活性化していると言われています。
プロサッカー選手と素人では、ボールを扱うときの脳の活動が違うそうです。
なんと、素人の方が脳を活性化させているデータが取られています。
プロになってその事柄に慣れてくると、脳は活性化しなくなる。
この脳の活性を「自分の頭で考える」とすれば、私たちは考えなくなっていくのです。
さらに例を出します。
偉大な発明。
ニュートンの万有引力の法則など、ニュートンがずっとそのことを考えていたから、リンゴが落ちたときにひらめきが起こったのだと言われています。
ニュートンの問いと、リンゴが落ちた体験が結びついてひらめきが起こりました。
法則がたてられた後、きっとニュートンはそのことに満足をして、その問いはやめてしまったと思います。
次の問いが頭をしめることにはなったかもしれませんが。
天才でさえ、満足したらそのことについては考えなくなるのです。
もし、未来に渡って法則が否定されることがあるとしても。
私たちが考えなくなるのは当たり前のことだと言えます。
ただそのことを考えなくなるのですが、そこから新たな問いを持ったりはするかもしれません。
一時的に考えない状態になったりするだけかもしれません。
「自分の頭で考える」という行為を人はずっと継続してはいません。
人はその問いを問わなくなる時があるからです。
時には慣れないことをやったり、挑戦したりすることが「自分の頭で考える」ことになると言えそうです。
ショーペンハウアーの格言に戻ります。
ショーペンハウアーの格言から考える。
格言の忠告はこうでした。
多読ばかりに費やすと、自分の頭で考えられなくなる、と。
これを解決するためには、自分の問い、がキーワードになりそうです。
問いを持って読書をする。
読み終わった後に問いを持つ。
自分の事柄と重ね合わせて考え出す。
このようなことをしていけば、「自分の頭で考える」ことの一つになりそうです。
情報化社会の現代では答えを求めすぎて、その間にある問いを持てなくなっているのかもしれません。
答えを得ることに満足をしてしまって、「他人の頭で考えられた」ことに流されているのかもしれない。
情報が増えて、考えなくてもよくなっていく時代。
そんな中で、ショーペンハウアーの格言を思い出すことは「自分で考えて」いくためには必要です。
「読書について」の格言、まとめ
「自分の頭で考える」ことと、「他人の頭で考えること」を比較しました。
心理学効果の「ツァイガルニク効果」、慣れてくると脳波でも考えなくなる、ということにも触れました。