おはようございます。けうです。
青山拓央さんの「心にとって時間とは何か」を読み終えました。
>>前回「死ぬ権利は権利なのか」-命のスイッチ問題
青山さんは言います。
人によってある哲学に関心が惹きつけられる人と、そうでない人がいる、と。
私は時間論にはそこまで心が惹かれない。
一般的なSFのようにドラえもんが未来にタイムトラベルすることを真剣に問題に扱ったりできていない。
では、なぜ私は時間について考えることができないのか。
それをこの本を参照にしつつ、その理由を考えていこうと思います。
なぜ時間を気にすることができないのか。
まず、私は時間というもの重要視できない。
例えば、何時間とったほうがよいとされている睡眠時間。
時間に重きを置ける人は、私にとっての睡眠時間はこのくらいだ、というデータと共にしっかりと時間によって自己管理できます。
本当は私も自己管理がしたい。
けれど、なぜか度々、夜寝る前に楽しいことがあればそちらを優先してしまいます。
そして、この私の態度は教育においてもよくないことがおこります。
例えば、子どもの寝かしつけ。
「早く寝ないと明日がつらいよ。」
このように私は経験から睡眠時間が足りていないと明日がつらいことがわかっています。
それによって、子どもを早く寝かせようとする。
けれど、本当はそういいつつも、自分の中でいい訳は作っています。
睡眠には質というのがあるから、もし8時間睡眠が6時間睡眠になっても支障がないかもしれない、と。
なので、私は子どもに強く早く寝ることを述べることができません。
もしかしたら、私は時間というものを頭でわかっているようでいて、実感としては把握できないのかもしれません。
では、時間を重要視していないとすれば、私の感覚は時間をどのように捉えているのでしょうか。
ここで青山さんのタイムトラベルに関する考え方を参照にしていきます。
タイムトラベルの二つの考え方
青山さんはタイムトラベルに対して二つの考え方を分類していました。
そこで次のような分類を考えよう。タイムトラベル全体を、その定義に「今」が必要なものと、そうではないものとに分類する。そして前者を、テンス(時制)に関わるという意味で「テンストラベル」と呼び、後者を「テンスレストラベル」と呼ぶことにする。
タイムトラベルを時間の時計の流れにそったものをテンストラベル、関係ないとしたものをテンスレストラベルと定義します。
テンストラベルの例を述べるならば、ドラえもんのタイムマシンです。
テレビを見る私たちは普通にドラえもんが過去や未来に行って何かをしたとしても、そのまま現在に返ってくると思っています。
このような直観的に時間軸を読み解いていくものをテンストラベル。
そこにあるだろう現在に関する謎を考慮しません。
もしその時点でその謎を究明しようとすれば、テンスレストラベルにうつります。
テンスレストラベルの利点と言えば、時計の秒針が定める時間とは関係なく思考できる点にあります。
テンストラベルは時間を直観的に捉える
青山さんは言います。
タイムトラベルにおいて、テンストラベルは矛盾を多く含んでしまうので、それは直観的なものにしかなりえない。
例えば、ドラえもんがどんな行動をとっても、そのまま受け取ることをいいます。
そこには現実にして考えると矛盾点を多く含んでしまうために、ただそうなのだ、と受け入れる態度があります。
テンストラベルは時間を物理学的に捉える
一方で、テンスレストラベルに対しては、時間の個人の感覚や、物理学が応用できると青山さんは述べています。
もしドラえもんが過去にいって、現在に返ってくると言うことがあった場合に、この時間を自由に考慮できる。
または、一度「今」であった過去がもう一度「今」になるわけではないもの、として捉えています。
例えば、テンストラベルの人はこう思います。
「もしも過去に行けたなら、一度生じたのとは別の歴史を作り出すことができるはずだ」
でも、テンスレストラベルの人はこう思います。
「もし過去にいけたなら、私はその過去があった歴史と言うようにまた別の世界に行くことになるだろう」と。
時間の捉え方によって、テンストラベルは時間が平たんに動くのに対して、テンスレストラベルの人は時間が多面的にうつっているのです。
こうも言えるかもしれません。
テンストラベルで考える人は社会生活を営む自己を確立している。
私を中心に世界が変わっていくと考えられる。
テンスレストラベルで考える人は物理学的でもあり、時間の時計の流れを考慮しません。
出来事が起こっており、それを人の見る視点によって因果関係や論理をつくり上げていることになります。
テンスレストラベルから私の時間間隔を問う
では、初めの問。
私はなぜ時間を重要視できないのか。
もしかしたら、私は社会的な自分を確立できないために、普段からテンストラベル的な見方ができていないのかもしれません。
自分にとっての睡眠時間もあやふや。
集中するとただ過ぎてしまっている時間は、客観的には把握できないもの。
日常生活でタイムスケジュールを組むということも、私は出来ていません。
それは、テンスレストラベル的な見方をいつもしがちだということ。
よく地域によって時間を守ったり、守らなかったりする人がいると言われますが、その時間を重視できない場合も世界観がテンスレスなのかもしれません。
時間は人間特有だとする考え方
よく哲学では、時間というものは人間特有にあるものだと言われています。
他の動物はわかりませんが、時間間隔によって人間はいろんなことを考えるようになり、「今」そのものよりも未来や過去のことを考えられるようになっています。
物理学的には証明されない時間なのですが、人間にとって時間は生まれながらに備わっている能力と言えます。
そして、この時間を重要視すると、社会的には有益になることが多いというのも私は頭でわかっています。
睡眠時間をとった方がいいし、タイムスケジュールも時間単位で区切った方が効率がいい。
人間は社会的動物であり、それには時間が結びついているというのはテンス的に考えているということ。
なので、ドラえもんのタイムトラベルに私たちは疑問を挟むことなくストーリーとして見ることができるのではないか、このようなことも思いました。
普段の生活で時間の謎に囚われないのと同じように、ドラえもんのストーリーだけを楽しめるのだ、ということ。
ただテンストラベルにいる人も、疑問を思慮しない。
テンスレストラベルにいる人も、時計の時間を重要視できない。
そこを行き来するときに時間の謎が生じてくるのではないか、と思いました。
では、お聞きいただいてありがとうございました。