ボランティア問題

ボランティアの歴史と現代の問題点|高校倫理1章6節6

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
(高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第1章
「現代に生きる人間の倫理」
第6節「社会参加と幸福」
6.ボランティアの歴史と現代の問題点
を扱っていきます。
以前扱ったアーレントは全体主義に現代の問題を見ました。
全体主義⇒個人よりも国家、民俗、人種などの集団を優先する思想。
具体例はナチズムや旧ソ連のスターリン主義。
階級社会の崩壊後、大衆(歯車的な人間、自分自身にさえ関心をもたない人)が思想によってつながった結果。
今回扱うボランティアという言葉の発生は、ファシズムや全体主義と関係しています。
ファシズムとは、国民を支配する独裁的な政治運動のこと。
ナチズムは全体主義とも呼ばれるのですが、ファシズムとも呼ばれます。
ファシズムはより国家が強制的に国民を支配することで成り立つ政権をさします
ファシズムは国を一つにして国家の危機を乗り切ろうとするときに登場しやすい
ボランティアは一見すると、全体主義やファシズムとは関係がなさそうに見えます。
  • ボランティア⇒志願者、義勇兵、奉仕者。
    自ら進んで社会事業などに参加する人。
    「自分が持っているその力を、それを必要としながら持っていない隣人のために役立てること」
    「この私を待つ人がいる!」という思いによって、活動にかりたてられるのがボランティア精神。

全体主義を構成する大衆は、歯車的な人間で自分自身にさえ関心をもたない人でした。

その大衆が「この私が必要とされる」という意識を持つために、ボランティア精神は役立ちます。

じゃあ、ボランティアと全体主義は反対の意味なの?
反対にもなるし、全体主義を助長することにもなる

ボランティアの歴史を追いつつ、ボランティアが一般的になった現代において問題になっている点を取り上げていきます。

ブログ構成

  • ボランティアの歴史
  • ボランティアの現代の問題点
    産業ボランティア
    災害ボランティア

参考文献 「ボランティアとファシズム 自発性と社会貢献の近現代史」池田浩士、「ブラックボランティア」本間龍、「災害ボランティアの心構え」村井雅清

ボランティアの歴史

ボランティアの歴史は、「ボランティアとファシズム」を参照にしながら説明していきます。

「ボランティア」という言葉が日本に根付いたのは、1970年頃。

それまで広辞苑にはボランティアという言葉は載っていませんでした。

広辞苑第二版(1969年)に初めて登場したのです。

ボランティア⇒①義勇兵②自ら進んで事業に参加する人
1974年の広辞苑には「②自ら進んで社会事業などに参加する人」として社会事業(公共の福祉)という言葉が付け加わりました。
さらに、1983年広辞苑では義勇兵が「①志願者、篤志家(とくしか)、奉仕者」に変わります。
また、『現代用語の基礎知識』(自由国民社)では1969年義勇兵・志願兵の他に「無料奉仕」という新たな意味が付け加わっています。
年代や辞書ごとに意味が少しづつ変わっている
ボランティアという言葉が日本に日常用語として定着した背景には、「全共闘」や「地域闘争」、「学生運動」がありました。
ボランティアには自発性や社会貢献という意味があり、その精神をかかげる時代に登場したのです。
ただし、奉仕活動自体が活発化していたのは1918年に終わった第一次世界大戦以後の世界においてです。
危機の時代、非常時とも呼ばれた激動の時代に、ボランティア活動は行われていました。
日本が国民国家という意識を持ちだした頃、社会事業(公共の福祉)としてボランティアが意識されだした
この参考文献がボランティアとファシズムを結び付けた意図は、「危機の時代」にボランティアが現れざるをえなかったからです。
ファシズムとは、きわめて簡潔に言うなら”危機の時代からの脱却や、危機的状況の解消を実現するための、全社会的・全国民的な運動の一形態”を言い表す概念です。
(p184 kindle表記)
日本がファシズムだったと言われだしたのは、大二次世界大戦後。
国の危機を乗り切るために、国家が総動員して戦争に立ち向かっていたからです。
その戦時下、ボランティア精神が強調されていました。
国(天皇)のために命を捨てる、国のために奉仕する、というボランティア精神の強調です。

震災時のボランティア

ボランティア活動を歴史的に振り返ると、1923年関東大震災、1995年阪神淡路大震災のときに見られました。

特に、阪神淡路大震災のときは「ボランティア元年」といわれ、それ以後、ボランティアなしには社会が立ちいかないということが主張されだしたのです。

自然災害は偶然起こる。
偶然起こることに対して、人はボランティアで助け合うしかないと考える
偶然の災害に対して、人間が自主性を発揮して互いに助け合う。
そのようにしてボランティアは危機を乗り切る手段となっていきました。
関東大震災のときに「学生救護団」(自発的に無報酬で人助けをする団体)ができ、そこからいつでも震災の手助けができるようにと「セツルメント」(社会教化事業を行う地域の拠点)につながります。
この団体は、震災時に活躍しました。
そして、困った人を助けようという団体の思想は、災害時だけではなく、通常時は社会の困窮や格差社会についても運動が続けられたのです。
ところが、日本の社会情勢とその活動が合わなくなっていきます。
1925年の治安維持法によって、それらの思想は取り締まる対象になってしまいました。
政府は貧困や格差に対する自発的な運動を取り締まり、思想を一つへと制度化(マニュアル化)していったのです。

自発性から制度化へ

職業的に勤務しようとする立場と、ボランティアとして社会事業に従事しようとする立場では、本質的な違いがありました。

そして、政府はセツルメントの労働学校を赤化思想(共産主義、マルクス主義)を植えつける場所だとして、治安維持法で取り締まっていったのです。

時代背景により、1920年代におこったボランティア活動は静まっていきました。

その代わりに、戦争による貧困から自分たちの生命と生活を守ろうとする全体的な動き(ファシズム)がでてきたのです。

ファシズムの動きの中で、また異なった「ボランティア精神」が強調されるようになりました。

その一つが侵略戦争です。

満州国(1932-1945)⇒満州事変により中国東北地方を占領した日本が、皇帝溥儀(ふぎ)を執政として建国した傀儡(かいらい)国家

侵略戦争に対して、政府はボランティアとして「満蒙開拓団」を募集しました。

日本の農業を満州に伝えるボランティアという名目で、農業移民を募集していったのです。

日本の農村も金融危機で、食べるのに困り、子どもをさし出さなければ生きていけない環境にありました。

その中で自主的にボランティア移民(満州に農業を伝える指導民族)になることを、人々は決意していったのです。

これはボランティアの意味が変わっていった時期でした。

自発性にもとづいて、私利私欲のためではない社会貢献に身を投じるという行為は、もはやその自発性と社会貢献の対象を、みずからの自由意志によって選ぶことができなかった

いまやボランティアの行為は、国家によって設定された舞台の上で、国家が重要とする任務を果たすものとなった
(p1791)

国策としてすすめられた移民政策ですが、日本が大戦に負けるとともに、計画は破綻になりました。

移住先の土地は侵略した土地。
そして、教える人々はその土地を奪われた人々。
これを知らずに移住していた
その後も、政府は国民の自発性を強要しました。
「国家は、その力を組織化し、統制を加えることで、ボランティア活動の自発性と自主性を国策のエネルギーに変え」ていったのです。(p2131)

ヒトラー・ドイツから学んだ奉仕活動

第二次大戦中、日本とドイツは同盟国でした。

ドイツでは「労働奉仕」制度が実施され、日本はそれを参考にしたり、お手本にしたのです。

ヒトラーが総裁の地位についたとき、ドイツ国民の支持率は89.9%。

失業者の率を下げたり、経済発展を促した点が国民の支持を得たのです。

さらに、ヒトラーは「労働」という概念を変えようとしました。

肉体労働をする人間への蔑視や差別感情が当時はあったのですが、この差別感情をなくそうとしたのです。

「労働」は今まで人間にとっては3K(きつい、汚い、危険な労働)と結び付いていました。

それをヒトラーは全ドイツ人が労働をすることで、労働の価値を上げ、その差別意識を取り払おうとしていったのです。

ヒトラーはドイツ国民にあった階級差別を取り払おうとした。
けど、その代わりにユダヤ人差別をした
ナチスが積極的に関与し推進した「自発的労働奉仕」は、つまり、卑しまれた困難な肉体労働を、自発的に、自由意志で、主体的に引き受けるという精神を、若者たちに体得させる機会だったのである。
「ボランティア」とは、元来、そのような困難を自発的に引き受ける精神の持主なのである。
(p2727)
ヒトラーは頭脳労働と肉体労働の差別は、あってはならないと主張します。
そして、その主張を実現するために、奉仕活動を義務化したのです。
ヒトラーは「一鍋日曜日」を設けて平素な食事で余った経費を寄付するように呼び掛けたり、青年の「労働奉仕期間」を義務化したりした
労働を体験した青年は、その一方で「良い体験をした」「勉強や成長になった」と語ることも多かった
しかし、私たちがファシズムをイメージするとき、‐暴虐そのものの姿だけを思い描くとすれば、それはファシズムを見誤り、過小評価することになるだろう。
‐だが、ファシズムの権力は、そのような暴力的束縛によって私たちを支配するだけではない。
しばしば「柔らかいファシズム」という概念でも言い表されるもう一つの姿がある。
それは、私たち自身が、しかも自発的に、ファシズムを構成する主体のひとりとなる、という側面からファシズムを見たときの姿である。
その姿は、自由意志で、しかも一致団結して、結束を固めながらひとつの共同体を作る私たち自身の姿なのだ
その両方の姿のどちらもがファシズムであり、そのどちらか一方が欠けてもファシズムは機能し得ない。
(p3418)

国民のボランティア精神を成長させる一方で、ユダヤ人への強制労働や奴隷労働という事実は隠されていました。

労働の悪い側面を隠し、労働を美化したのです。

日本とボランティア

ボランティアは災害のときにも、国の危機を救うためにも機能します。

そして、戦争が終わっても、日本政府は国を守るためという名目でボランティアを重視してきました。
日本の文部省がすでに百年以上も昔から少年少女のボランティア活動に関心を抱いていたのは、「ボランティア精神を養うことが、国家の発展統一において最大の急務」だと考えていたからでした。
賛成するか反対するかは別として、ボランティアについて考えるとき、「国」がこういう考えを久しく持ちつづけていたということは、一つの重要な事実です。
(p5491)
戦時下の日本社会は、じつは一億総ボランティアの社会でした。
ボランティアで気をつけなければいけない点は、視野が狭くなってしまう点。
その一方で、私たちはみずから進んで行動することによってしか、現実と関わったり、現実を変えたりすることはできません。
では、このボランティアの歴史は現代のボランティア問題とどう関わってくるのでしょうか。
現代の問題点を2つ考察していきます。

ボランティアの現代の問題点

歴史を振り返ることによって、ボランティアは時代ごとに内容が変わりやすいことをみてきました。

では、現代の問題点とはどのようなことなのでしょうか?

  • 東京五輪ボランティア問題
  • 災害ボランティア問題

この二つを取り上げていきます。

東京五輪ボランティア問題

「ブラックボランティア」を参考に見ていきます。

この本は「肥えるオリンピック貴族、タダ働きの学生たち」という点を問題視しています。

2020年東京オリンピックという巨大商業イベントを日本が開催する際に、多くの五輪ボランティアを募りました。

東京五輪ボランティア募集事項

  • 1日8時間、10日以上従事できる人(18年に6月には5日以上に変更)
  • 本番までに行われる研修に参加できる人
  • 組織からの支給は制服と食事のみで、交通費と宿泊費は自己負担

宣伝

  • 一生に一度の舞台を提供し、多くの人々と感動を分かち合える
  • 一丸となって五輪を成功させ、世界中の人々と触れ合える場

このようなやりがいや楽しさを強調して、人々を募集。

しかし、この舞台裏の仕組みでどのようなお金や利権の流れがあったのかを国民は知らされていませんでした。

政府は10万人以上のボランティアをタダで使う一方で、役員や宣伝企業に大きなお金が動いていることを報道しなかったのです。

著者は災害ボランティアと、東京五輪ボランティアは別物だと見なしています。

ボランティアに参加したとしても、好き勝手に動くことは規制されているし、東京五輪は商業イベントにもなるのでどこかにその利益が出るのです。

情報の開示がない、という点は人々の判断能力をうばってしまう
五輪という美名のもとにあらゆる資格の価値を無視し、すべて無償で調達しようとする組織委の姿勢と、それをそのまま受け入れてしまう諸団体の思慮のなさ、無責任さが、無償ボランティア問題を生んでいる。
(ブラックボランティアp29)

著者はこのような問題の背景に、「ボランティアとはタダで使える便利な労働力」という意識が潜んでいるのではないか、と指摘しています。

災害時のボランティアは対象が利潤を生まないからこそ無償の援助が必要なのであり、逆に利潤がうまれるのなら、報酬は分け合っていいのではないかと考えるのです。

災害ボランティアと五輪ボランティアという前提をわけて考える必要がある。
災害は商業利益がでないけど、五輪は利益がうまれる
五輪ボランティアでは、ボランティアを「対等なパートナー」と見ていると宣伝しているのにもかかわらず、ここに対等と呼べない差が生じてしまうと筆者は主張しています。
ボランティアの募集に当たっては、待遇の改善よりも、ボランティアのやりがいをわかりやすくPRすることが政府側では重要視されました。

五輪の核心的利益

五輪の組織委が言及されたくなかったことは二つ。

  1. 行政が外出を控えるように警報を出す程の、猛暑下における五輪開催の是非
  2. 10万人以上の無償ボランティアの是非

国際オリンピック委員会(IOC)に巨額の資金が動いていたので、五輪の開催を実現させるためにこれらの問題は問われませんでした。

筆者はこの事実を現代のインパール作戦に似ているとしている。
インパール作戦⇒参加した10万人余の兵士への食糧を与えず、現地で調達するように促して数万人の死傷者を出した作戦
人は当たり前になるとその行為を批判しなくなります。
五輪の件は、気がつかずして搾取されている構造に問題があると筆者は指摘しています。
ボランティアは自主性が大事にされる。
けれど、その自主性は広告や宣伝によって操られてしまう危険性がある

災害ボランティア問題

「災害ボランティアの心構え」を参考に、災害におけるボランティア問題を見ていきます。

著者はNGO協働センター代表であり、阪神淡路大震災から神戸を拠点に災害ボランティアを行い、海外においてもさまざまな復興作業の援助に携わっている方です。

災害ボランティアの問題を抜粋します。

非常時に行政がやることのすき間を埋めるのがボランティアだから、ボランティアは「十人十色」「多様多彩」であるべきで、自発性・独立性・創造性を併せもつ存在でならなくてはならないと主張し続けてきた。

だが、近年、災害時にボランティアが果たす役割が注目を浴びるようになり、その重要性が認められれば認められるほど、奇妙なことに、「災害直後に大勢のボランティアが行くと、被災地が混乱する」という根拠不明の言説が広がっていった。

そして、被災地に迷惑がかからないようにボランティアを管理しなくてはならない、現地で活動する際の規範をマニュアル化して守らせないといけないという方程式が、いつの頃からかできてしまった。(災害ボランティアの心構えp239 kindle表記)

五輪ボランティアとは逆に、災害時は自発性や創造性が求められるのに、人々はマニュアルを求めるようになってしまった
実際に、東日本大震災(2011年)のときはマスメディアもボランティアが現地に行くのはまだ早いと主張し、現地の受け入れ態勢が整うまでは行くべきではないという見方に立って報道したそうです。
災害ボランティアの行政マニュアルも繰り返しアナウンスされました。
その結果、ボランティアはまだ行くべきではないという空気が国民の間に広がったのです。
著者は東日本大震災から「ボランティアとは何か」という問いを改めて問うべきではないか、と主張します。

東日本大震災でのボランティア

東日本大震災で、岩手県は被災地でのボランティアセンターの受け入れ情勢が整っていないとして、震災発生から一か月近く「県外からのボランティアはお断り」と言い続けました。

被災地では、ボランティア支援に打ち込み過ぎてストレスを抱えたり、突然意欲がなくなるなどの「燃え尽き症候群」などにおちいる人もいました。(p424)

ボランティアに行かない方が良い、という自粛ムードが広がります。

それでも、東日本大震災はこれまでの震災とは比べ物にならないくらい被害が甚大だったそうです。

震災から一か月でこのような内容の記事が掲載されました。

記事内容

  • ボランティアは押しかけてよい
  • 迷惑をかけても、その分何倍もいいことをすればいい
  • 実際のところ人数が足りていない
  • 来てくれるだけで嬉しい
  • 東日本大震災の被害は阪神淡路より甚大だが、ボランティアの人数はそのときと同じか、より少ない
  • 受け入れ態勢が出来ていないのは、ボランティアセンターが被災してしまったために受け入れ機能を失ってしまったから。
    センターは機能していなくても、被災者は来てほしいと思っている
  • 行政の担当者はセンターが機能していないので、ボランティアに来てもらうと混乱すると思っている
  • 震災の被害はその時々で異なるのに、過去のマニュアルに従ってしまっている
  • ボランティアはニーズを歩いて探しに行かなければいけない
自粛とは反対の意見で、この記事はいろいろと物議をかもした
阪神淡路大震災でのボランティアにおいて、ボランティア元年(1995年、ボランティアが行政を補完する重要な役割を果たした)と言われるようになり、1998年には特定非営利活動促進法も試行されました。
ボランティア文化が誕生するきっかけにもなったのですが、ボランティアの存在が認知されたのと同時に、行政によるボランティアの管理も始まりました
ボランティアセンターもボランティアコーディネーターも、システマティックな仕組みだ。
だが、果たしてそれで本当に被災者のニーズをもれなくすくいとれるのかという疑問はぬぐえない。
私はこれまでさまざまな被災地で活動してきたが、残念ながら、この仕組みがうまく回っている場面を見たことはあまりない。
(p584)
震災では被災地の行政が停止する。
その混乱を防ぐために、ボランティア集めを自粛することがある
机上の勉強しかしてこなかったコーディネーターは、マニュアルに従って動こうとし、現実に対応できないことがある。
社会福祉協議会という組織のありかたは、ボランティアセンターの運営業務に適していないのではないか、と著者は主張します。
行政は「鳥の目」で見るが、民間人のボランティアは被災地の最前線を「虫の目」で見る。
被災者の生の声を聞き、被災者に寄り添う。
そして被災者が自ら立ち上がろうとするエネルギーのすき間に入り込み、円滑油の役割を果たす。
その際に強みになるのが多様性なのだ。
多様なボランティアがいれば、多様なニーズに対応できる。
(p658)
ボランティアのあり方も多様なんだね

「言われなくてもするが、言われてもしない」

「阪神淡路大震災では、自助が2、共助が7で、官の助は1しかなかった」と元兵庫県知事は語ったと述べます。

ボランティアは官の助けによってできることは限られている、と著者は主張するのです。

ボランティアは行政の下請けではない。

だから、「言われなくてもするが、言われてもしない」という態度をボランティアは持ちつづけるべきだと語ります。

「言われなくてもする」というのは自主性。

「言われてもしない」というのは、権力に屈しない、権力に利用されない態度を表しています。

ファシズムや五輪の例でも見たように、ボランティアは権力に利用されやすい
「ボランティアが行政を補完するのではない。行政がボランティアを補完する」という立場が良いのではないかと著者は語るのです。(p726)
マニュアル化はボランティア文化の成熟を逆に遅らせる。
マニュアルではなく「命は大切にしましょう」「自分でよく考えて行動しましょう」の2つがあれば十分だと著者は述べます。

不良ボランティアのすすめ

著者は「不良ボランティアが社会を変える」とした講演をしました。

「被災者と触れ合っている支援者には既存の規則(ルール)はいらない。むしろ支援活動は規則から自由でなければならない」と考えるからです。

例えば、お金で解決できるシステムが現代では多数あります。

しかし、それによって無縁社会(つながりのない社会、縁のない社会)ができてきました。

ボランティアはそうした無縁社会のあり方も問い直します。

お金を媒介としたシステムには頼らずに、人と人との豊かな関係性をもう一度つくり出そうとする。

人と人とが関係を結ぼうとすると、当然、うっとうしさや煩わしさやしんどさもついてくるが、ボランティアはそれらを避けるのではなくて、あえてひきずっていく。

うっとうしさや煩わしさやしんどさを、みんなで共有し、分かち合うことで、人と人とのつながりの社会をもう一度築こうとする。

そこに意味がある。(p966)

ボランティアでは合理性を追うことが非合理的ということにもなる
ボランティアについて取り扱いました。
次回は「現代の諸課題と倫理」生命の倫理に入っていきます。
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