生命倫理(バイオエシックス)

生命倫理(バイオエシックス)とは何か|高校倫理2章1節1

このブログの目的は、倫理を身近なものにすることです。
(高校倫理 新訂版 平成29年検定済み 実教出版株式会社)を教科書としてベースにしています。
今回は
高校倫理第2章「現代の諸課題と倫理」
第1節「生命の倫理」
1.生命倫理(バイオエシックス)とは何か
を扱っていきます。
前回までは1章「現代に生きる人間の倫理」6節「社会参加と幸福」を全6回にわたってやりました。
今回からは2章「現代の諸課題と倫理」に移ります。
1章との大きな違いは、人個人の思想よりも、今考えられている用語や話題を主に見ていく点です。
今回扱う生命倫理(バイオエシックス)は、1960~1970年代のアメリカで誕生しました。
生命倫理(バイオエシックス)⇒人間の生命が技術的操作の対象になったことで生じた、生命の誕生や死に人間はどこまで介入していいのかを問う研究分野
生命倫理(バイオエシックス)の登場背景には、医学や技術の急速な進歩と、公民権運動などの人権問題があります。
1945年に大二次世界大戦が終結し、そのままアメリカは冷戦(1947-1989)に突入。
その戦争の中、軍隊を苦しめていた病気の研究が進み、抗生物質・抗高血圧薬・抗精神病薬・抗がん剤が一般の医療でも利用されるようになりました。
そして、臓器移植や人工呼吸器、生命維持装置、ペースメーカーなど、あらゆるものの発明。
この生命倫理(バイオエシックス)の議論は、今までの常識の多くが通用しなくなった点にあります。
例えば、1714年にアメリカ内科医協会は「天然痘の患者から採取した乾燥した膿を非感染者にうつすという中東での慣行」の報告を受けた。
協会はそれを非常識で非倫理的なことだとしたんだけど、有効性が科学的に証明されて、これは今の予防接種になっている。
非常識・非倫理的だったことが今の常識・倫理になることを、議論したり研究したりすることが生命倫理とも言える。(医療倫理の歴史p105)
膿を移されるって、抵抗感ある
科学技術の分野が発展することで、新たに問われることも多くなっていきます。
ブログ内容
  • 生命倫理(バイオエシックス)の歴史
  • 生命倫理(バイオエシックス)と自己決定権

参考文献 「医療倫理の歴史」(アルバート・R・ジョンセン著、藤野昭宏・前田義郎訳)、はじめて学ぶ生命倫理(小林亜津子)

生命倫理(バイオエシックス)の歴史

生命倫理が問われだしたのは1960-1970年代のアメリカです。

倫理的な出来事の年代記、1940-1980年代までの主なトピックを見ていくことで、生命倫理でどのような議論が起こってきたのかをみていきます。

ナチス医師に対する裁判

1947年ドイツで「医学の名のもとに犯された殺人、拷問、およびその他の残虐行為」の罪で20人のナチス医師と3人の医療行政官が告訴されました。

第二次世界大戦の勃発以来、犯罪的な医学実験が行われていたのです。

科学実験の装いでなされた犯罪

  • 高所研究
    どのくらい酸素を奪われると人は死んでしまうのか
  • 寒さ研究
    人はどのくらいの寒さで死んでしまうのか
  • 1000人以上の人々をマラリアに感染させてさまざまな投薬を試みる
  • ワクチンの開発での実験
  • 塩分をどれくらいとると人は死んでしまうのか
  • 不妊化の効率化のための実験
  • 双子の人体実験

これは第二次大戦中を元にした裁判ですが、これ以後もアメリカでは戦争を有利にするような人体実験は密かに続けられていました。

例えば、ロボトミー手術や、脳に電極を流す実験などです。

人間を用いる科学の実験。

この実験は、伝統的に医学界で使われてきたヒポクラテス(古代ギリシアの医師)の『誓詞』(医師の医療倫理・任務などについての、ギリシア神への宣誓文)では、言及されていなかったのです。

昔ながらの医師の誓いとして使われてきた倫理的なものがヒポクラテスの誓いなんだけど、人間がこんな実験をするとは想定してなかった

その実験が例え、人間にとって画期的な未来を予見させるものであっても、それは議論される必要があります。

今治せない病気も、未来は治せるかもしれない。
でも、それには「実験」や「試験」が必要になる
ここでの生命倫理(バイオエシックス)は、実験はどこまで倫理的に許されるのか、という議論です。
それは人間ではなくても、動物ならいいのか、という議題にもなってきます。

科学の発展

科学の発展によって問題視されてきたものを上げていきます。

生命倫理(バイオエシックス)の事例

  • 1953年ワトソン‐クリック仮説が発表され、「遺伝」や「遺伝子」という領域が開いた。
    遺伝子操作によって「完全な」人間を作ることも視野に入ることで、大戦後下火になっていた「優生学」を目覚めさせる危険性が生じてきた。
  • 1954年腎臓移植
    一卵双生児による腎臓移植手術が成功した。
    これによって、健康な人にメスを入れる事態が生じた。
    医者には「害するなかれ」という倫理的伝統があったが、健康な人にメスを入れる臓器提供が倫理的な問題になる。
  • 1960年経口避妊薬ピルの発売
    妊娠を防ぐことは、自然や神の法に対する非倫理的な違反ではないか、という伝統的な問いがあった。
    物理的な避妊具コンドームと、化学的な避妊薬ピルとは道徳的にどう異なるのかが問題になる。
    (例えば、なぜピルは入手しずらいのかという問題)
  • 1960年血液透析
    透析を始めることによって、死なないために絶えず機械に依存して生きることが問題になった。
    機械に依存することはお金もかかる。
    しかも、病院内で設備が限られていて、透析を続ける人を選別する必要も生じた。
    また別に、機械の依存をなくして死を選ぶことの倫理的問い(自殺を想起させる)がでてきた。
  • 1967年心臓移植
    初めて心臓移植が成功し、人々はそれを歓喜した。
    しかし、移植後の結果はそこまでかんばしくなかった。(手術後の死亡例が多かったp166)
    また、移植のために心臓を取られる人の死を決定するという問題が発生した。
    (心臓と呼吸の機能停止以外の基準で死を定義する必要が生じた)
  • 1968年ハーバード大学の脳死の定義
    ハーバード報告が脳死に関する諸問題を定義した。
    それをうけて1970年にはカンザス州は死に関する新しい基準を法律で制定した。
    これにより、ある州とそれに隣接する州とでは死の決め方が異なるという混乱が生じるようになった。
  • 1972年タスキーギ梅毒研究の発覚
    アメリカで密かに40年にわたって、梅毒にかかった被験者を治療せずに観察するという研究が行われていた。
    長年の研究は、当時の梅毒医療(ヒ素と水銀による治療)に懐疑的であったために行なわれていて、科学的価値が高い研究は正当化されるとしていた。
    しかし、ペニシリンが発見された以降も、同じ実験が続けられていたので非倫理的だとされた。
    過去には正当化されたものが、発見によって非倫理的な研究になった
  • 1973年人工妊娠中絶問題
    人工妊娠中絶が法によって禁止されたことにより母体の生命が危険になったと、その女性が地方検事に対して訴えた。
    母体の権利と、胎児の権利が問題となった。
    また、人工妊娠中絶で生命はいつ始まるのか、という問いが発生した。
  • 1975年植物状態
    ある女性がこん睡状態に陥り、植物状態になってしまった。
    生命維持装置を本人の許可なく切っても許されるのだろうか、という問題が発生した。
    生命維持装置を外した結果、彼女は自発的に呼吸を始めるも、植物状態は続いていた。
    10年後に植物状態のまま亡くなった。
    この事件は集中治療の奇跡の持つ悲劇的な側面をより強く意識させるようになった。
  • 1978年試験管ベビーの誕生
    母親の胎内ではなく、ペトリ皿の中で赤ん坊を創ることは倫理的か
    また、人間を計画的なデザインに従って形づくることは許されるかが問題になった。
  • 1982年新生児は死から救われるべきか問題
    新生児集中治療室の技術を必要とする小さな未熟児の多くは、その技術の過酷さに対応できずに、死に至ることを許容されているという事実があった。
    そんな中、ある腸閉塞を持つ新生児が生まれた。
    その腸閉塞は簡単に治せるものの、その新生児は発育障害を持っていた。
    両親は腸閉塞の手術を拒んだが、病院側は両親の異議に抗して手術を行うために裁判所の命令を求めた。
    人工妊娠中絶に近い一種の医療殺人という問題が明らかになった。
  • 1982年人工心臓
    心臓移植ではなく、人工的に作られた機械的な心臓の移植手術が行われた。
    患者は人工心臓によって112日間生きた。
    この事例からさらに12人の患者に人工心臓を移植したものの、ほとんど成功しなかった。
    これは医療は何が利益と見なされるべきか、誰が技術を使うことを決定すべきか、誰がその費用を払うべきかが問題になった。
  • 1983年疫病エイズ
    疫病抑制の戦略が、同意や秘密保持のような制約の下で行われた。
    疫病の差別、恥辱、またそれに類する不可避なものの意識が高まった。

(「医療倫理の歴史」8章参照)

このような問題がアメリカで起こり、それらが生命倫理(バイオエシックス)と呼ばれるようになりました。

これらの問題は、古くて新しい問題として今も問われています。

倫理的問題が一つ一つにあるんだね

生命倫理(バイオエシックス)と自己決定権

生命倫理(バイオエシックス)はわたしたちの身近な問題です。

では、その問題がある、ということを知っていればいいのでしょうか。

ここから「初めて学ぶ生命倫理」を参照に、実践的に役立つ知識を紹介していきます。

自己決定権

現在、世界中のほとんどの国では、人間には「自分のいのちを終わらせる権利」(死ぬ権利)はないけれど、治らない病気でじきに死んでしまう場合には「いのちの終わらせ方を選ぶ権利」(死の迎え方の選択権)はあるとされています。(初めて学ぶ生命倫理p19)

– 「いのち」は個人の自由な処分の対象ではなく、自殺の権利は存在しない。

けれども、患者は「いのち」ではなく、自分の「いのちの質」(生命の質、QOL)についての決定権を持っている

苦痛を回避したり、自分の尊厳に反するような「いのちの状態」を避けたりするためであれば、治療を拒否すること(国や地域によっては安楽死を要請すること)は許される、と。(p21)

自己決定権とは、自分の「いのちの質(QOL)」についての決定権のことを指しています。

自己決定権⇒患者が自分の身体に何がなされるかを決定する権利

処方をしたり、治療をしたりするのは医師になり、医師は患者の生命を救う職務があります。

殺すことは医師の仕事ではなく、また人間の手で「いのち」を損なってはいけない、という医師界の伝統的な考え方(ヒポクラテスの誓いなど)があるのです。

生命倫理は「生命の神聖さ」(SOL、生命はすべて神から与えられた神聖なものである)という考え方にも基づいています。

インフォームド‐コンセント

自己決定権がもとになって、インフォームド‐コンセントという考え方が生れました。

インフォームド‐コンセント⇒医師が十分な説明を与え、患者が承諾を与えなければ、治療をすることができないという原則
インフォームド‐コンセントで問題が生じた事例を紹介します。(はじめて学ぶ生命倫理p54)
両親が娘を訴えた事例
16才の少女ヴィッキーは痩せることに快感を覚えて拒食症になってしまいました。
しかし、本人は病気という自覚がなく、痩せればやせるほど可愛いと思い込んでいます。
栄養の点滴も避け、ついには余命半年と診断されるまでになりました。
本人は治療を拒否。
これに怒った両親は、ヴィッキーを訴えることにしました。
裁判所の判決は両親が勝ち、ヴィッキーに強制的に点滴をうけさせることに成功します。
後に病状が回復したヴィッキーは両親に感謝するようになりました。
自己決定権やインフォームド‐コンセントは西欧社会に伝統的な自由主義や個人の自律という考え方を現代の文脈で具体化したものです。
ただしここには本人の判断能力の是非があります。
この例ではヴィッキーの判断能力に不満をもった両親が、法の力によってヴィッキーに強制的に治療をうけさせることにしたのです。
では、判断能力とはどのように決定されているのでしょうか。
判断能力の判定をコンピテンス評価と言います。
コンピテンス評価⇒判断能力の判定、人格としての能力、他の人格と対等に張り合う能力。
コンピテンス能力のある人とは、決定や意志表示が現実的に可能である者であり、自分にとっての負担や利益の序列を自分ひとりで決められる人。自己立法者。
実際にコンピテンスの臨床基準として知られているのは、バーナード・ロウによる5つの構成要素です。
コンピテンスの5つの構成要素
  1. 選択する能力とそれを相手に伝える能力があること
  2. 医学情報を理解でき、それを自分自身の問題として把握する能力があること
  3. 患者の意思決定の内容が、本人の価値観や治療目的に一致していること
  4. 決定内容が妄想や幻想の影響を受けていないこと
  5. 合理的な選択であること
    (はじめて学ぶ生命倫理p91)
上の例から考えるなら、ヴィッキーは②の自分の容態が深刻なことを自覚していたのかわからない、④の痩せるほど可愛いと思い込んでいること、⑤合理的な選択であることが疑問視できます。
これによって裁判では両親側が勝つことができました。
この事例は私たちの身近な例に当てはめることができます。
患者にこの5つのうちでどれかに批判すべき点があるとき、本人の判断能力についての是非を問うことができるのです。
確かにこの5つがあれば、相手の判断力理解への指針になる

パターナリズム

自己決定権が広まるまで医師と患者の関係には、パターナリズムという問題がありました。

パターナリズム⇒子どものためになるという理由で親が子どもの自由を制限するように、他人の自由に干渉することをいう。
医療の場合、患者の利益になると意志が判断した治療をおこなうことで、患者の意向が反映されない場合がある。

19世紀になるまで、東洋や西洋でも、患者の自律について言及されることはあまりなかったそうです。(医療倫理の歴史p69)

例えば、中世の医師ヴィラノヴァ(1238-1311、リトマスの発見者)はこう述べました。

「患者には肝臓に障害がありますと言いなさい。

特に「障害」という言葉を使うわけは、彼らにはそれが何を意味するのかわからないからである。

そして人々にその言葉が分からないことがとても助けになる」(医療倫理の歴史p47)

また、1500年代の王立内科医協会では一般の人々に薬の名前を明かすことを禁じていたそうです。

自律や自己決定権というのは、昔からあったわけではなかったんだね
生命倫理(バイオエシックス)と自己決定権についてやりました。
次回は、生命技術による生命への介入を取り扱います。
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