「人間としての自覚」
第1節「ギリシア思想」
④アリストテレス
>>プラトンの哲人政治とイデア
- アリストテレスの形相と資料
- アリストテレスの幸福
- アリストテレスの正義と友愛
「万学の祖」アリストテレスの形相と質料
プラトンのイデア論をよく学んだアリストテレスは、ある疑問を持ちました。
ここに一匹の猫がいる。
私たちが「猫」とわかるのは「猫のイデア」を想起しているから。
プラトンのイデア論によれば、現象界の猫はイデアの模造品(ミメーシス)。
プラトンにとって変化しない絶対的な形が真の姿(イデア)です。
でも、ではこの「猫」は模造品なのでしょうか?
- 個物=形相(エイドス)+質料(ヒュレー)
- 形相⇒事物に内在化された本質(そのものをあらわす形、イデアのようなもの)
- 質料⇒事物の素材(猫なら血、肉、骨など物理的なもの)
形相はそれ単体では存在できず、いつも質料とくっついています。
目的論的自然観
アリストテレスはその形相と質料の関係を、可能態(デュナミス)と現実態(ミネルゲイア)だと説明します。
例えば、種が現実態としてあったとして、この種は芽になる可能態でもあり、芽が現実態だとすれば、芽は木になる可能態であり…と続いていきます。
全てのものは、何かになろうと目的を持っている(目的論的自然観)
形相が内在している状態が可能態であり、その形相が実現した状態が現実態です。
アリストテレスは自然の世界には目的があると考え、自然全体はさまざまな形相・目的が関係しながら階層を形づくっているという目的論的自然観を持っていました。
>>パラダイムシフトとは
アリストテレスとプラトンの違い
アリストテレスの本質は物理的な現実のモノとくっついているので、イデア界が別にあるとは考えません。
つまり、プラトンのイデア界そのものを否定したのです。
- プラトンは理想主義的(イデア界という現実とは違う楽園を本質だとしたから)
- アリストテレスは現実主義的(現実にあるもののなかに本質があるとしたから)
有名な「アテナイの学堂」(ラファエッロ画)。
中央左がプラトンで上(理想)を指し、中央右がアリストテレスで下(現実)を指していると言われています。
イデア論が今の私たちに理解しにくいのは、「曲がった三角形」をみて「正しい三角形」を思い浮かべるときに、イデア界ではなくそのものにイデアを認めやすいからです。
プラトンは人工物にイデアを認めず、場合分けをしています。
>>人工物と自然物の違い
「万学の祖」アリストテレスの幸福
アリストテレスが「万学の祖」と言われるゆえんは、さまざまな概念を発見しているからです。
アリストテレスは幸福(エウダイモニア)を言葉にしました。
幸福のなりかた
アリストテレスは人間に最高の幸福をもたらすために、人間の本質について考察しました。
まず、人間の形相を魂ととらえます。
そのうえで、人間と動物の違いについて考察。
動物のうちで人間だけが理性(ロゴス)をもつ
人間の本質を理性に求めたのです。
そして、魂・理性のすぐれたあり方を徳としてとらえます。
ここまでならばプラトンとそう変わりません。
アリストテレスは具体的に実践できるかたちに落とし込んでいきます。
理論化することを重視し、「AはBである、BはCである、それゆえCはAである」といった論理学も体系化しました。
徳と中庸と幸福
アリストテレスは徳を二つに分割。
徳
- 習慣的徳(倫理的徳)⇒勇気・節制・正義など
- 知性的徳⇒知恵・思慮など
習慣的徳とは、よい行為を反復して習慣づけることによって、感情や欲望が理性の指示に従うよい習性ができあがった魂の状態をいいます。
例えば、いつもお腹いっぱい食べたいところを腹八分目の食事にして、それが普通の状態にすること。(節制)
感情や欲望が理性の指示に従うとは、過不足をさけて中庸(ちゅうよう、メソテース)をえらぶことです。
例えば、勇気は無謀と臆病の中間。
浪費とケチの間に気前のよさ、短気とふぬけの間に温和があるとします。
知性的徳
さて、アリストテレスの論をつかって弁論をしてみましょう。
将軍「私は勇気ある将軍だ!」
「勇気とは何ですか?」
将軍「味方が少なくても果敢に戦うことだ!」
「勇気とは無謀のことなんですか?」
将軍「いや、無謀と臆病の中間にあるものが勇気だ!」
「中間とはなんですか?」
将軍「中庸のこと」
「中庸とはなんですか?」
将軍「アリストテレスが説いた最高善にいたることができる習慣的徳を選択するあり方」
問答法にも中庸は活用できます。
このように、教育を通じて理性が十分にはたらくようになった状態が知性的徳です。
>>倫理②ソクラテスの問答法
アリストテレスは理性を純粋にはたらかせ、そのこと自体を楽しむ観想(テオーリア)が人間の本質を完成させ、人間に最高の幸福をもたらすと主張しました。
彼は人間の生き方を3つに分類。
- 享楽的生活(快楽を善ととらえてそれを追求する生活)
- 政治的生活(名誉を追求する生活)
- 観想的生活(真理を知り、そのことに喜びを見いだす生活)
このなかの観想的生活が最高の生き方だとしています。
「万物の祖」アリストテレスの「正義と友愛」
アリストテレスはさらに人間を定義します。
人間は、本性上、ポリス的動物である
彼は人間をポリスという共同体のなかでのみ生活できる動物、という考え方を示しました。
さきほど説いた習慣的徳のなかでも正義と友愛(フィリア)を、共同生活をする上でかかせないものとして重視。
正義から説明します。
正義
アリストテレスは正義を大きく2つに分けました。
2つの正義
- 全体的正義
(法を守るという広義の正義、一般的な正義) - 部分的正義
(人々の間に公平を実現させる狭義の正義)
・配分的正義(能力や労働量によって報酬をわけること)
・調整的正義(当事者の利害・得失が均等になるように調整すること)
全体的な正義は、盗みだとか暴力だとか、それをすれば犯罪とみなされるような一般的な正義のこと。
そして、部分的正義は共同体の中の決まりごと、例えば民法や各地域の決まり事のイメージです。
友愛(フィリア)
アリストテレスは共同体を維持するためには正義以上に友愛(フィリア)が大切だと考えました
友人たちには正義は必要ないが、正義の人たちにはさらに友愛が必要である
友愛(フィリア)
- 相手に好意を持つこと
- 相手が幸福になることを願うこと
- 相手がより善くなることを願うこと
(哲学用語図鑑 引用)
友愛はお互いに相手が幸福になることを願う愛のことです。
政治
プラトンが貴族的な哲人政治をといたのに対して、アリストテレスは政治をどのよう考えていたのでしょうか?
アリストテレスは各地域に合わせた政治体制を分類しました。
よいポリスとは、すぐれた一人が統治する王政、少数のすぐれた人々による貴族制、多数者が全体の利益をはかる共和制があると分類。
そして、それぞれに堕落した形態があると説いたのです。
よいポリス⇒堕落したポリス
- 王政⇒独裁者が自分の利益だけをはかる僭主制(せんしゅせい)
- 貴族制⇒少数の裕福層における寡頭制
- 共和制⇒衆愚制
アリストテレスはこれが良いという主張ではなく、地域ごとの政治のあり方を分類しました。
>>形而上学とは何か
>>ヘレニズム時代の哲学