「人間としての自覚」
第1節「ギリシア思想」
①ソクラテスとソフィスト
>>ギリシア思想と自然哲学
- ソフィストの登場
- ソクラテスについて
ソクラテスとソフィスト|ソフィスト登場の経緯
紀元前5世紀になると、アテネがギリシア政治・文化の中心地になりました。
アテネは民主制です。
この頃は本がなかったので、セリフでしか思想を語ることはできません。
そこで登場したのがソフィストです。
ソフィストは職業的教師であり、「徳の教師」を主張し弁論術を教えました。
弁論の目的は人々の説得。
民主制の中では票をとることが必須なのです。
ソフィストの代表的人物プロタゴラス
プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と言いました。
このような考え方は相対主義。
世の中にはみんなに共通する絶対的な真理なんてない!という考え方です。
例えば、あなたがある映画を見てとても面白かったとします。
映画を友達にすすめると、その人はつまらない、と言いました。
これはどちらも本当のことを言っています。
万人に共通の真理は存在しないので、どんな主張も通そうとすれば通るのです。
ところが、当時はまだ神様が絶対という文化。
後にでてくるソクラテスの「神を敬っていない」というセリフに対して、プロタゴラスは「神の存在は知ることができない」と述べたので、不敬罪でアテネを追放されてしまいました。
ソフィストの代表的人物②ゴルギアス
ゴルギアスは「正しいものは存在しない。存在したとしても人はそれを知ることができない」と教えます。
この思想も相対主義です。
ゴルギアスは民衆から様々な質問をうけ、即興でそれに答えました。
>>ソフィストへの批判をもっと考えてみる
現代社会と弁論術(教科書外)
弁論術で警告されることは現代社会にもあてはまります。
例えば、ソーカル事件。
1995年にアラン・ソーカル教授の現代思想が学術誌に論文として掲載。
ソーカル教授がポストモダン思想家の文体を真似て、科学用語と数式をちりばめた「無内容な論文」を作成しました。
「量子重力の変換解釈学にむけて」というような内容です。
専門家ですら、数式とそれにまつわる内容はあっているだろうと思い込まされてしまった事件。
「人々を納得させればよい」と言う風潮は、ソフィストと通じるところがあります。
弁論術に対する反論を、ソクラテスから見ていきましょう。(教科書に戻ります)
ソクラテスとソフィスト
ソクラテスはソフィストに対して問答法(ディアレクティケー)を試みました。
勇気で例えてみましょう。
「私は勇気ある将軍だ!」
これに対して、ソクラテスは「勇気とはなんですか?」と問います。
将軍「味方が少なくても敵に立ち向かうこと!」
ソクラテス「勇気とは無鉄砲なことなんですか?」
将軍「…」
ソクラテスの狙いは、相手の無知を自覚させて(無知の知)、真の知識を探ろうとさせることです。
「真の知識を知ろう」⇒「知を愛させよう」⇒「哲学(フィロソフィー)を広めよう」としたととれます。
相手が知をうむのをソクラテスは助けるだけなので、問答法を助産術(産婆術)ともよびました。
>>「不知の自覚」にする理由
ソクラテスはソフィスト?
問答法を知ると、一つの疑問が浮かびます。
ソクラテスはソフィスト(職業的教師)ではないのか?と。
- 支援派「国際的視野に立つ啓蒙思想的思想家にして全人的教育者」
- 批判派「詭弁を弄して蓄財に励む悪質的な疑似知識人にして危険思想家」
(新しく学ぶ西洋哲学史 2022)
ただ相対主義(真理なんてない)で有名なソフィストに対して、ソクラテスは「善や美がある」という態度です。
「善美であること」(カロカガティア)があるけれど、それをソクラテスも知らない。
知らないから、それを知るためにソクラテスは「よく生きる」ことを説いたのです。
ソクラテスにとって真の自分は魂(プシュケー)であり、魂への配慮が人間の最大の関心事であるはず。
知を探し求める態度は魂を磨くことになります。
人が善や正を知れば魂がすぐれていき徳(アレテー)が実現し(知徳合一)、よいおこないや正しいおこないができる(知行合一)と考えました。
そして、それらを実現することで同時に「よく生きる」ことができる(福徳一致)という思想。
つまり、「よく生きる」ことは善や美を知ることになるのです。
>>ソクラテスの思想を詳しく知る「対話を消滅させる対話の目的」
ソクラテスとの対話でプロタゴラスが「神の存在は知ることができない」と述べて、アテネを追放されたことからもうかがえます。
ソクラテスが有名になった理由
ソクラテスは不敬神の罪と青少年を堕落させた罪で告発されて、裁判にかけられます。
>>ソクラテスの裁判をもっと詳しく知る
ソクラテスは自分が無実だと主張。
しかし、裁判の結果は死刑です。
ソクラテスはその結果をただ受け入れます。
死刑と言っても当時、牢番に少量のお金を握らせれば誰でも簡単に脱獄できる環境でした。
今回の牢番は、ソクラテスがいつでも逃げ出せるようにカギを開けていました。
弟子も脱獄するようにソクラテスを説得。
それにもかかわらず、ソクラテスは「悪法もまた法なり!」と言って毒杯を飲んだといわれています。
本当に死ぬとは思ってなかった投票者。
処刑されなくても有罪に票を投じていた人は、罪の意識を背負ったことになるね
他にも、ソクラテスの弟子のプラトンが書いた本の主役がソクラテスだったことも関係しています。
実はソクラテスは本を書いてはいけないと述べていました。
しかし、こんな歴史的な事件やソクラテスの行動に対し、プラトンは本にせずにはいられませんでした。
次に、プラトンの思想を扱っていきます。
>>プラトンの哲人政治とイデア
>>哲学者とソフィスト(ショーペンハウアーの読書についてから)