NO IMAGE

空の理論と意味の場の関係性

おはようございます。けうです。

 

今日は言葉の理解の二面性について語ろうと思っていたのですが、朝構成を考えていたら量が多すぎてしまって、これは本の紹介としてブログに書くとして、他のことをラジオで話そうと思いました。

 

昨日に引き続き「一冊でわかる!仏教って何?」の本を読み終わったので、そのことの全体について話そうと思います。

空の理論と意味の場

仏教と最近の哲学は深く結びついているように私には感じられます。

マルクス・ガブリエルも空の理論を参考にする個所がある、と何かの本で述べていました。

仏教の経典は日常言語から語り継がれてきています。

なので、日常から哲学をしようという考え方からすれば、それに一致するのかな、と思います。

 

そして、私はこの本を読んでいて思った事。

それはマルクス・ガブリエルやウィトゲンシュタインの言う意味の場と深く結びついているんだな、ということです。

昨日、釈迦が死ぬ前に私が今まで説いてきたことは方便なんだ、ということを紹介しました。

釈迦の言う方便とはその人に合わせて教えを説いていた、ということです。

絶対的な真理を言っていたわけではない、と。

そして、意味の場を理解するときには、その方便という理解の仕方が私なりにしっくりくるのかな、と思いました。

人に私の考えを伝える時、その人を考慮しながら話すからです。

かつ、その人の意味している意味と私の意味している意味が一致しているところだけ、共有されている、という意識を持つことができます。

 

 

そして、教えというのはその状態とか、そのときどきでしか効果がないものなのではないか、ということも考えました。

例えば、今日は「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽浄土に行けるということを「一冊でわかる!仏教って何?」から解説します。

南無阿弥陀仏の物語について

これは、どんな悪人でもこのお経を唱えれば極楽浄土に行けるということを示します。

けれど、私が何か正義に燃えて活動をしようとした場合だったらこのお経を受け入れられるか?

といった場合に、受け入れられないかもしれません。

なぜなら、ただお経を唱えるだけでいい、と言われてしまった場合、その意欲が空回りしてしまうからです。

 

なので、意味の場を持ち出します。

意欲に燃えている場合なら、お経を読まないだろう、と。

それは、楽しさの絶頂にあるときに、悲しい物語を無理して読むというようなものだからです。

なので、このお経はどのような人に意味があるのか。

どのような人に向けられて話されているのかということを意識します。

 

この阿弥陀如来伝説が成立した物語を話そうと思います。

阿弥陀如来伝説が成立した物語

あるところに、王子さまがいました。

その王子さまは父親である王様を憎んでいました。

そのことを知った知人が王子さまに王様を殺させようとします。

それにのった王子は王様を幽閉してしまうんです。

 

それに困ったのはその王妃です。

実の息子が実の父親を殺そうとしている。

なんとか止めようとしてもダメです。

牢屋に差し入れをしようにも、餓死させようとしているのでそれを止められてしまいます。

結局、王様は餓死してしまいました。

 

そして、その後に王子さまは国を統制するために、王様を殺したことを懺悔しなければいけなくなります。

そのことの許しを釈迦にとくのですが、釈迦はとても慈悲深いので許してもらえました。

 

でも、もっと不幸のどん底に沈んでいる人物がいました。

それが王妃です。

王様を失って助けられなかったことも悲しいし、自分が育てた息子がそのようなことをしたことも自分に責任の一つがあると考えます。

 

どんな慰めの言葉も、王妃には届かなかったのです。

そこへ釈迦が出向いて、途方もなく美しい極楽浄土の話をします。

そして、ただ南無阿弥陀仏を唱えればいいんだよというように夫人を励まします。

生きるか死ぬかという境地なのか、そのときに王妃が耳を傾けられたのがそんな釈迦の言葉ということです。

 

なので、そんな絶望の中にいる王妃にはこのお経が胸に届きます。

でも、生き生きとやりたいことをやる活動的な人や、今の世の中に満足していたりする人には、その釈迦の言葉は届かないのです。

だから、生と死の狭間のようなお葬式のときにお経が唱えられます。

意味の場を意識したときに、王妃がそのような状態にいるから、意味を共有できたのだという解釈ができます。

 

悲しい気分でいるから、悲しい本が自分に入ってくるということはありますよね。

今日はこの本の気分!という意識の移り変わりがあります。

 

最初に戻ると、語る言葉というのは方便という一面をかならず併せ持ちます。

そして、それを理解できるときの私たちの心境というものがあるのです。

 

それを私たちが解釈したり、作り上げているものだから空の理論といったりもします。

空の理論と意味の場-まとめ

 

ある人にとっては、すごく読み込みたい!

と思う本が、ある人にとっては全く理解のできないもの、ということがよくあります。

 

ウィトゲンシュタインは言ったそうです。

私は実際、世界の片隅に散らばっている友のために書いている」と。

自分の哲学が理解できる人は限られている。

友でないと理解できないだろう、と。

というよりも、その意味の場を持ち合わせていなければ、私の言葉が届かない、ということを示します。

ただそれが良い悪いではなくて、その人に届くか届かないか、です。

お経が王妃さまの心には深くしみいるように、特定の場面の人にはその哲学が深く染み込んでいくということになるからです。

 

では、今日もお聞きいただいてありがとうございました。

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!
>けうブログ

けうブログ

哲学を身近に