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法華経の物語をわかりやすく紹介

 

おはようございます。けうです。

 

「一冊でわかる!『仏教』って何?」(三田誠広)さんの本を読んでいます。

昨日に引き続いて、今日はここから読んで解釈した法華経を話したいと思います。

これも物語形式で語っていきます。

法華経とは

法華経というのは、釈迦が死にそうになっていて、教えを最後に語る、という場面からはじまります。

死にそうになっている釈迦は、ただ黙っていて座禅をくんでいます。

長い沈黙の後でこう言ったそうです。

「これまで語ってきたことはすべて方便だ」と。

方便というのは便宜的な方法で、相手の理解に合わせて語ってきたということを表します。

つまり、絶対的な真理ではない、ということを伝えます。

これを聞いた弟子の何人かは去っていくのですが、残った弟子についてさらに語っていきます。

 

これから私がとく法華経を唱えて書いて伝導していきなさい、と。

法華経は釈迦が語ることによって今出来上がるもののようです。

「法華経」というのは「法華経」について述べられたお経です。

 

では、どんなお話なのか、というのも法華経は伝わりやすい物語形式で教えを説いていきます。

 

私が、いいなと思った話をピックアップします。

「化城宝処(けじょうほうしょ)のたとえ」の物語

「化城宝処(けじょうほうしょ)のたとえ」

釈迦は悟りに向かって修行する人をシルクロードの砂漠地帯を進む旅人にたとえます。

砂漠の旅人なので、歩くだけで疲れてしまうイメージです。

疲れ切ってあゆみをとめようとする人々に、仏陀は蜃気楼のような幻のお城をみせます。

それをみた人はあと一歩あと一歩というように目の前の歩みを止めずに進むというストーリーです。

 

日常の中でもよくやります。

後少しだけがんばろうかな、とか。

ちょっとご褒美を用意しておいて、また少し前に進んでみよう、とか。

優しい例え話です。

釈迦が旅人の前にそんなご褒美をちょっとずつ見せてくれる、という話です。

他にも。

「衣裏繋珠(えりけいしゅ)のたとえ」の物語

「衣裏繋珠(えりけいしゅ)のたとえ」

ある貧しい男がいました。

ほんとに貧乏で、放浪の暮らしをしています。

そこに資産家の友達が心配をして、その貧しい男を招いて、その男に気がつかれないように服の裏に宝玉を縫い付けておきました。

宝玉に気がついたら楽をできるだろうと友人は思ったのです。

何年かたってから、友人はまたその貧乏な男にであいます。

そうしたら、その貧乏な男はかわらずにどん底の暮らしをしていました。

資産家は宝玉を使わなかったの?と聞くのですが、宝玉って何?

と返ってきました。

自分の服の裏に宝玉があったことに気がついていなかったという話です。

この話はすべての人に仏性があるんだよ、というのを語った逸話のようです。

気がつくのって難しいですよね。

現代でも、自分の才能や自分の得意分野がわかると良いなんていいますが、法華経でもそのようにといている話があるようです。

 

前半で釈迦は物語を語っていくのですが、ここまでは伏線らしいのです。

釈迦が死ぬと言う方便

いよいよ本当の法華経を説くよ!

と釈迦が言ったときに、地割れがおきたり、全世界、全宇宙から修行者が集まって来たり、世界がものすごいことになるようです。

釈迦の弟子を把握していた弟子たちも、どうしてこんなにもの修行者が集まるのだ?といぶかしみます。

修行者やもう魔法使いといえるようなすごい人々が登場してきます。

 

そんな中、死にかけている釈迦は言います。

私が死ぬというのも方便の一つなのだ、と。

人の姿をした釈迦というのは実は一種の方便にすぎない。

肉体の虚しさを弟子たちに伝えるための方便なのだ、と。

釈迦というのは永遠に存在していて、だからこんなにも世界を埋め尽くすような修行者や弟子たちがでてくるのだ、と。

 

ここで法華経の話は終わりかと思いきや、その後の分身(ブンジン)、釈迦は死なないのでその化身とか、前世の釈迦だとか、そのようなイメージの人々の逸話も入ってきています。

法華経における他の登場人物

例えば凄いのは、火を祭っている人々に対して、自分がたいまつになろう!と考えた菩薩がいたみたいです。

この菩薩は本気で灯明になりたいと願って、油を飲み続け、全身が脂肪の塊となったところで、さらに全身に油を塗った上で、自分の体に火をつけました。

そして、自らがロウソクのようになって、千二百年燃え続けたそうです。

このような話はファンタジーだよ、と前提にして言わないと怖いものがありますよね。

 

後は、意味不明という奥深さをつたえる菩薩もいるそうです。

これは物語にはなっていないけれど、なんとなく深いことを伝えているなというのが伝わっているらしいのです。

何でも入っているのかな、という印象を私は覚えました。

 

この法華経を伝えるのが悟りの道でもあるそうです。

 

私は悟りというのはわからないのですが、物語として面白いなと思ったところは紹介したいなと思いました。

なので、文字がないような時代においても口頭で物語が伝わっていったんだろうなと思います。

 

後思ったのは、口頭で伝わっていくと言うのは日常言語です。

西洋哲学でも後期ウィトゲンシュタインは日常言語の中で哲学をしようとしていました。

こんなところも東洋と西洋が通じるなと思います。

仏教は古いようでいて、哲学の最先端もいくのだろうな、と。

 

また日常言語だけではなく、言葉で伝わらないと言うことも私たちには伝わっています。

お葬式のときにお経を読むのではなくて、物語紹介の方が私にとっては分かりやすいなと思うのですが、きっとそこではわかりやすさを求めていないんだろうな、と思いました。

言葉の消滅を狙っているというところや、言葉を超えたところを実感させるというのもあるからだろうな、と。

死者に思いをはせるためにあえて呪文のようにしているのかな、と。

 

では、お聞きいただいてありがとうございました。

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